観音丁
かんのんちよう
西法寺丁の北約四〇間に西に下りる急坂があり、京町台地を東西に抜ける形をとり、東端は中坂を下りて坪井に達し、西は本妙寺参道につながる。現在の京町二丁目と一丁目の境目道路である。台地西山麓の下り坂口にかつて観音堂があったため、明治以降観音丁と称した。「国誌」によると観音堂は「岩立運清観音」で、観音の前の坂は道幅が狭く急なため階段が梯子のようであったので、俗称梯子坂、または雁木坂と称したと伝える。現在もこの坂は階段を下りる形となる。寛文頃には南側は鉄炮衆屋敷一四・中小姓屋敷一・地子屋敷三である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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