金峰山(読み)キンポウザン

デジタル大辞泉 「金峰山」の意味・読み・例文・類語

きんぽう‐ざん【金峰山】

山形県鶴岡市の山。市街地の南にあり、標高471メートル。山頂に金峰きんぼう神社がある。
熊本市西方にある鐘状火山。標高665メートル。北方の二ノ岳(熊岳)・三ノ岳(那智山)とともに複式火山をなす。山頂に金峰山神社がある。一ノ岳。きんぼうざん。

きんぷ‐せん【金峰山】

《「きんぶせん」とも》奈良県中央部、吉野山から山上ヶ岳に至る連峰の総称。また、山上ヶ岳の別称。金の御岳みたけ御金みかねの岳。

きんぷ‐さん【金峰山】

山梨・長野県境に位置する秩父ちちぶ山地の高峰。標高2599メートル。かつて甲府水晶の原石を産出した。きんぽうさん。

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精選版 日本国語大辞典 「金峰山」の意味・読み・例文・類語

きんぽう‐ざん【金峰山】

  1. ( 「きんぼうざん」とも ) 熊本市の北西端にある鐘状火山。標高六六五メートル。中世、修験道の道場として利用。夏目漱石の「草枕」で知られる峠を西に越えると、河内温泉があり、温州(うんしゅう)ミカンの栽培地帯となる。飽田(あきた)山。一ノ岳。

きんぷ‐さん【金峰山】

  1. 長野、山梨両県境にある秩父山地の主峰。北側から千曲川、南側から釜無川の源流を発している。古来信仰の対象となり、武蔵蔵王権現をまつる。水晶の産地。標高二五九九メートル。きんぽうさん。

きんぶ‐せん【金峰山】

  1. ( 「きんぷせん」とも ) 奈良県の南部にある大峰山(おおみねさん)の別称。

きんぽう‐さん【金峰山】

  1. きんぷさん(金峰山)

きんぶ‐さん【金峰山】

  1. 神奈川県鎌倉市にある臨済宗円覚寺派の寺、浄智寺の山号。

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日本歴史地名大系 「金峰山」の解説

金峰山
きんぷさん

甲府市北端にある標高二五九九メートルを測る秩父ちちぶ山地の主峰。山梨・長野両県の境界に位置し、千曲ちくま川水系・富士川水系の分水嶺をなす。高さでは北奥千丈きたおくせんじようヶ岳(二六〇一メートル)に次ぐが、瑞牆みずがき山・朝日あさひ岳など周囲の山々とともに広大な金峰山塊を形成する。山体は黒雲母花崗岩で、壮年期地形を呈する。眺望絶景の地として知られ、「裏見寒話」には「此嶺上に登れは、信州浅間、越中立山、加賀の白山、妙義、榛名、佐土国等、快晴の時は遥に見ゆ」と記される。享保年中(一七一六―三六)に勅許甲斐八景に「金峰暮雪」が選ばれたほどの景勝地で、長い山岳信仰の歴史をもつが、現在はスポーツ登山で賑わう。昭和二五年(一九五〇)一帯が秩父多摩ちちぶたま国立公園に指定された。山名は長野県側では「きんぽうさん」ともよぶが、山梨県では「きんぷさん」「きんぷうさん」の呼称が一般的である。天正一〇年(一五八二)一二月五日の徳川家印判状(金桜神社文書)などでは金風山とも表記される。幾日峰いくかのみねともよばれ、「風雅和歌集」に載る順徳院の「ちくま川春ゆく水はすみにけりきえていくかの峰の白雪」は当山を詠んだものとされる(甲斐国志)

御岳みたけ金桜かなざくら神社の由緒書(社記)によれば、信仰は、一国鎮護の霊地と考えた日本武尊が山頂南西の少彦名命の鎮座する御像ごぞう石の下に社殿造営を命じて素盞嗚尊・大己貴命を合祀し、雄略天皇の時代に至り里宮を建立したことに始まるというが、不詳。


金峰山
きんぽうさん

南佐久郡の南端、川上かわかみ川端下かわはけの南に位置し、南山麓は山梨県甲府こうふ市と同北巨摩きたこま郡にまたがる。標高(三角点標高)二五九五メートル。幾日いくひが峰ともいう。ただし、山梨県側では「きんぷさん」とよぶのが一般的。山頂に金峰山神社が祀られている。秋山あきやま村の鎮守に慶長一八年(一六一三)の棟札があり、「奉造栄信州佐久郡大井庄秋山之郷金峰座王大権現之里宮」とみえる。この山は農耕の神のいる山として金峰山麓の人々に崇められたばかりでなく、千曲川の水源をなす山として、かつてはその下流一帯の北信濃地方にまで及ぶ地域の人々の尊信を集めていた霊山である。現在はもっぱら甲州側から登る人々が多く、信州側からは裏山のごとくみられているが、誤りである。

関東山地の西部、秩父山塊の最高峰北奥千丈きたおくせんじよう(二六〇〇メートル)にはわずかに及ばないが、奥秩父の代表的な山としてあげられる。山嶺は、東は国師こくしヶ岳(二五九一・八メートル)に続き、西は小川おがわ(二四一八・三メートル)から信州しんしゆう(一四六四メートル)にまで延びる。信州峠を黒森くろもり峠ともいう。山の北麓の集落川端下から東股沢ひがしまたざわを登れば朝日あさひ(二五八一メートル)の東、朝日峠へ出る。


金峰山
きんぽうさん

金峰町にあり、もと岳・ひがし岳・きた岳の主要三峰からなる。最高点は本岳の六三六・三メートル。古来、山岳信仰の対象とされてきた。本岳には蔵王ざおう権現社(現金峰神社)が鎮座し、江戸時代までは東岳(別名文殊岳)に文殊菩薩像、北岳(別名妙見岳)に十一面観音像が安置されていた(神社調)。蔵王権現社の別当寺は金蔵こんぞう院観音寺であった。金峰神社は旧県社で、祭神は勾大兄広国押武金日天皇(安閑天皇)である。金峰山由来記(三国名勝図会)は百済僧日羅が山上に錫をとどめ、推古天皇二年に従三位兼大宰大弐蔵人頭高橋卿が勅使として大和吉野よしの(現奈良県吉野町金峯山寺)の金剛蔵王を勧請したと記す。


金峰山
きんぼうざん

熊本市北西部、飽託ほうたく河内かわち町・玉名たまな天水てんすい町・同郡玉東ぎよくとう町にかけて海岸近くに広がる西山にしやま山地の主峰で、標高六六五メートル。山頂は熊本市と河内町の境界をなす。別名いちノ岳と称し、北方にある二ノ岳(熊ノ岳)、三ノ岳とともに肥後三山ともよばれる。「きんぽうざん」とも、古くは「きぼうさん」とも発音される。かつては飽田あきた山とよんだが、天長九年(八三二)山頂に大和の金峰山きんぶせん権現を勧請し(現金峰山神社)、以後改称したという。

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改訂新版 世界大百科事典 「金峰山」の意味・わかりやすい解説

金峰山 (きんぷせん)

奈良県中部,吉野の金峰山は修験道発祥の山として知られ,全国に分布する金峰山やそこにまつられる蔵王権現は,この吉野金峰山を模倣し勧請したものである。金峰山の境域は明確ではなく,およそ吉野山から大峰山にかけての山々を指すが,本来は青根ヶ峰(858m)を主峰とし,その信仰も神奈備(かんなび)信仰に発したと思われる。しかし忿怒相で火焰を背負う金剛蔵王権現が主神となるに及んで,山上蔵王堂が存在する山上ヶ岳が金峰山の主峰になったのである。吉野金峰山は奈良時代末より平安時代中期にかけて多くの修行者が入山し,吉野の愛染,岩倉を中心に多数の堂塔が造立され修験の一大勢力を形成した。また古くから〈金の御嶽(かねのみたけ)〉と呼ばれ,黄金を蔵する山とする観念があり,さらには弥勒浄土の兜率天(とそつてん)内院に擬されて宇多法皇,白河上皇の御幸をはじめ,藤原道兼,道長,師通なども参ったほど御嶽詣が流行した。なかでも1007年(寛弘4)の道長の御嶽詣,納経は世に広く知られている。

 蔵王権現はすでに9世紀に出現しているが,後に修験道の開祖役行者(えんのぎようじや)(役小角(えんのおづぬ))の蔵王権現感得譚が流布したこと,山上ヶ岳より出土した多数の遺物のうち神仏像の大半が蔵王権現であること,江戸時代の制作が多いものの,蔵王権現を中央に配し,天満天神,佐抛明神,子守明神,勝手明神,役小角,八王子などを描いた吉野曼荼羅が存在することなどからも蔵王権現に対する信仰の強さがうかがわれる。また吉野山は空海や聖宝との関係から修験道当山派の拠点とされてきた。
執筆者:


金峰山 (きんぷさん)

秩父山地のほぼ中央に位置する山で,主稜線は山梨・長野県境に一致する。山梨県側では〈きんぷさん〉,長野県側では〈きんぽうさん〉と呼ばれていたが,現在は前者に統一されている。幾日峰(いくひのみね)とも呼ばれるが,あまり一般的ではない。標高2599mは奥千丈岳に次いで山地第2の山であるが,ゆったりとした秀麗な山容は秩父山地で最も人をひきつける。山体は中生代の小仏(こぼとけ)層を貫く花コウ岩から成る。北斜面は千曲川の,南東斜面は荒川から富士川への源流域である。一般に秩父山地稜線部の植生は大部分が亜高山帯の極相林(コメツガ,シラビソ,オオシラビソ)であるが,金峰山では山頂部にハイマツ,キバナシャクナゲ,低木化したダケカンバを主とする高山帯が出現する。秩父多摩国立公園に属し,頂上付近にある高さ18mの五丈岩は金峰山の目印となっている。古くから修験道の盛んな山で,五丈岩の下には,かつて籠堂が置かれていた。登山基地の一つ西麓の増富温泉ラジウム泉として知られる。
執筆者:


金峰山 (きんぽうざん)

熊本県中部,熊本市の西部にそびえる火山。標高665m。金峰火山群の主峰で,〈きんぼうざん〉ともいう。東の阿蘇山に対し,西山とも呼ばれ,熊本市民に親しまれている。その成因については,金峰山を中央火口丘とするほぼ正方形のカルデラ型火山とも,いくつかの異なった火山の集まりが,その後の断層運動でカルデラらしい地形になったともいわれている。地質はおもに第四紀に噴出した新期角セン石安山岩からなっている。一帯は金峰山県立自然公園,くまもと自然休養村に属し,名勝旧跡に富む。山の西肩に夏目漱石《草枕》ゆかりの峠の茶屋跡,北西麓に小天(おあま)温泉,西腹に宮本武蔵が《五輪書》を執筆した霊巌洞があり,洞内には岩戸観音がある。テレビ塔が立つ山頂には南北朝時代菊池武重が勧請した大和国金峰山(きんぷせん)の蔵王権現がまつられ,これが山名の由来となっている。頂上からの展望は開け,西方島原湾に臨む山麓一帯にはミカン園が展開する。
執筆者:


金峰山 (きんぽうざん)

山形県鶴岡市の北西部,摩耶山地の北端に位置する花コウ岩質の山。標高471m。山頂には吉野の金峰山(きんぷせん)から蔵王権現の分霊をまつったといわれる金峰神社がある。庄内藩主酒井氏も祈願所として崇敬するとともに,近世までは女人禁制の山で金峰蔵王権現の修験道の霊山として栄え,出羽三山の行者の参詣も多かった。また庄内漁民の出漁中の位置を知る目印ともなった。山頂からは庄内平野,日本海とともに鳥海山,月山の眺望がひらけ,新緑・紅葉シーズンにはハイカーでにぎわう。登山路は青竜寺(しようりゆうじ),新山や湯田川温泉から整備されており,杉の老木間を抜ける参道には供養碑など民衆の信仰の面影を多く残している。ブッポウソウの生息地。国の名勝で,庄内海浜県立自然公園に含まれている。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「金峰山」の意味・わかりやすい解説

金峰山(熊本県)
きんぽうざん

熊本県中部、菊池平野(きくちへいや)と熊本低地との間に位置する二重式火山。標高665メートル。更新世(洪積世)前期火山岩からなる外輪山は、陥没カルデラの中心から放射状および同心円状の形をとる断層によって、多数の丘塊に分断されている。更新世末期火山岩からなる一ノ岳(665メートル)は主峰で、中央火口丘であるが、同じ岩質からなる二ノ岳(熊岳)、三ノ岳(那智(なち)山)は外輪山の山腹に噴出した寄生火山である。山頂の金峯山神社(きんぽうざんじんじゃ)は、南北朝時代に菊池氏が再興して以来、西麓(せいろく)の岩戸観音、東麓の本妙寺(ほんみょうじ)とともに参詣(さんけい)の対象になっている。また、山頂からの眺望もよく、夏目漱石(そうせき)の『草枕(くさまくら)』ゆかりの峠の茶屋、西南戦争で知られた吉次越(きちじごえ)ほか旧跡にも恵まれ、登山、ハイキング、自然観察の好適地であることから、山体のほとんど全域が県立公園に指定されている。南麓には熊本市立の「金峰山少年自然の家」があり、レクリエーションセンターの機能を果たしている。島原湾に臨む西麓は、温暖な気候特性を活用した温州ミカン(うんしゅうみかん)の一大産地。

[山口守人]


金峰山(奈良県)
きんぶせん

「きんぷさん」ともいう。古来、奈良県吉野川左岸の吉野山から山上(さんじょう)ヶ岳に至る一連の諸峰を金峰山または金御岳(かねのみたけ)といい、山上ヶ岳の南、天川(てんかわ)村小篠(おざさ)から熊野までの峰々を大峰山(おおみねさん)と称していた。また平安時代以後、熊野信仰と結び付いた修験道(しゅげんどう)が隆盛となり、山上ヶ岳および吉野山の蔵王(ざおう)堂を中心に立ち並ぶ修験寺院を一括して金峯山寺(きんぷせんじ)、地主神を祀(まつ)る神社を金峯神社(きんぶじんじゃ)と称した。後世、金峰山と大峰山は混同され、山上ヶ岳を大峰山とよぶようになった。

[菊地一郎]


金峰山(山形県)
きんぽうざん

山形県西部、摩耶山地(まや)北端に位置する山。標高471メートル。「きんぼうさん」ともいう。花崗(かこう)岩質で、山頂には奈良県吉野の金峰山(きんぶせん)から勧請(かんじょう)した金峯蔵王権現(きんぼうざおうごんげん)を祀(まつ)る金峯神社がある。明治初期の神仏分離まで修験道(しゅげんどう)の霊山として栄え、出羽(でわ)三山行者の参詣(さんけい)も多かった。境内には、銅鉢(国指定重要文化財)などを展示した金峯山博物館がある。山頂からの眺望もよく、新緑、紅葉時には老杉の間の登山道はハイカーでにぎわう。国の名勝に指定されており、山麓(さんろく)に湯田川温泉、県の金峰少年自然の家がある。庄内(しょうない)海浜県立自然公園に含まれる。JR羽越本線鶴岡(つるおか)駅からバス便がある。

[中川 重]


金峰山(山梨・長野県境)
きんぷさん

山梨県甲府市と長野県南佐久郡川上村の境に位置する、秩父山地(ちちぶさんち)西部の名山。標高2599メートル。山頂に五丈岩とよばれる岩峰があり、その基部に御岳(みたけ)の金桜(かなざくら)神社の蔵王権現(ざおうごんげん)を祀(まつ)った祠(ほこら)がある。かつては修験道(しゅげんどう)者が吉野の金峰山(きんぶせん)に擬した霊場の山であった。秩父の山では珍しい山容、ハイマツ、高山植物などにひかれ登山者は多い。また、近辺ではかつて良質の水晶を産した。登山には、韮崎(にらさき)からバスで増富(ますとみ)温泉まで入り、富士見平から大日岩に出て、稜線(りょうせん)を行くのが一般的である。

[吉村 稔]


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百科事典マイペディア 「金峰山」の意味・わかりやすい解説

金峰山(長野・山梨)【きんぷさん】

長野・山梨県境にある秩父山地中の山。標高2599m。〈きんぷせん〉〈きんぷざん〉とも呼ばれる。中生層を貫く花コウ岩からなり,頂上に方状節理を呈する巨大な五丈岩がある。武蔵蔵王権現をまつる古来の霊山で,9筋の登山口があった。秩父多摩甲斐国立公園に属し,増富温泉から登山路がある。
→関連項目秩父山地日本百名山増富[温泉]

金峰山(熊本)【きんぽうざん】

熊本県熊本市の西部にある山。標高665m。〈きんぼうざん〉とも呼ばれる。安山岩,凝灰岩などからなるカルデラ型火山の中央火口丘で,中世修験(しゅげん)道場となり,峠の茶屋は夏目漱石の《草枕》で有名。頂上からの展望にすぐれ,山麓にはミカン園が多い。
→関連項目河内(熊本)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金峰山」の意味・わかりやすい解説

金峰山
きんぽうざん

別称一ノ岳。「きんぼうざん」ともいう。熊本県中部,熊本市西部にある金峰火山群の主峰。標高 665m。角閃安山岩から成る枡形の山で,古くは肥後国の修験道の道場として知られ,宮本武蔵が参禅し『五輪書』を書いたといわれる雲巌寺の霊巌 (れいがん) 洞がある。なお北側に夏目漱石の『草枕』ゆかりの峠の茶屋がある。付近一帯にはミカン園,ナシ園が広がる。金峰山県立自然公園に属する。

金峰山
きんぷさん

長野・山梨県境にある山。秩父山地の主峰の一つ。標高 2599m。山頂は花崗岩から成り,日本アルプスや浅間山,富士山などを一望できる。戦国時代に武田信玄が北側山腹で金を採掘したことから山名が生じた。山頂に金峰山神社があり,北麓の川上村川端下 (かわはげ) には金糸ののぼりがあって毎年5月に公開する。東方の大弛 (おおだるみ) 峠一帯にはシラベ,トウヒ,ナナカマドなどの植物群が多い。秩父多摩甲斐国立公園に属する。

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事典 日本の地域遺産 「金峰山」の解説

金峰山

(山口県周南市大向)
ふるさと周南景観特選」指定の地域遺産。
金峰山は標高790m、角閃石安山岩からなる鐘状火山。山頂部は3つの峰に分かれ、雲海を見ることができる

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事典・日本の観光資源 「金峰山」の解説

金峰山

(山梨県甲府市・北杜市)
山梨百名山」指定の観光名所。

金峰山

(奈良県吉野郡吉野町)
七高山」指定の観光名所。

金峰山

(山梨県・長野県)
日本百名山」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の金峰山の言及

【御岳山】より

…標高929m。金峰山(きんぷせん),武州御岳(嶽)ともいう。江戸西方の蔵王信仰の山として知られる。…

【吉野】より

…吉野の桜は歌に詠まれ,自然観照の変化とともに桜はしだいに有名となってゆく。一方,山上ヶ岳の南方小篠から北西吉野川にいたる一連の峰を金峰山(きんぷせん),小篠から南熊野までを大峰山(おおみねさん)(現在は山上ヶ岳をいう)といって,奈良時代以来修験の霊場となった。金峰山には金剛蔵王権現がまつられ,平安時代中期には寺院の形態を整えて蔵王堂以下多くの坊舎が建ち,金峯山寺と総称,院政期にかけて貴紳の御嶽詣が盛行した。…

※「金峰山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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