角田他十郎(読み)ツノダ タジュウロウ

20世紀日本人名事典 「角田他十郎」の解説

角田 他十郎
ツノダ タジュウロウ

明治・大正期の大陸浪人



生年
元治1年3月2日(1864年)

没年
昭和2(1927)年10月26日

出生地
加賀国金沢下本多町(石川県)

旧姓(旧名)
福岡

学歴〔年〕
金沢医学校卒

経歴
金沢藩士・福岡久祐の子に生まれ、のち角田氏を継いだ。医学修業を志し東京に出たが断念し、25歳の頃、朝鮮に渡り京城日本公使館員となる。日清戦争後に帰国して北海道に赴き、札幌で中野二郎の北門新報の経営、露清語学校の設立に協力。また札幌電燈会社社長となる。日露戦争には第12師団の軍属として従軍。のち大阪で陸軍用達業を営み、明治末年には朝鮮で開墾事業を行った。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「角田他十郎」の解説

角田他十郎 つのだ-たじゅうろう

1864-1927 明治-大正時代の大陸浪人。
元治(げんじ)元年3月2日生まれ。京城日本公使館員をへて札幌で中野二郎の北門新報経営,露清語学校設立に協力。日露戦争には軍属で従軍。また朝鮮で開墾事業をおこなった。昭和2年10月26日死去。64歳。加賀(石川県)出身。金沢医学校卒。本姓は福岡。号は蕪城。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android