日本歴史地名大系 「計石番所跡」の解説 計石番所跡はかりいしばんしよあと 熊本県:葦北郡芦北町計石村計石番所跡[現在地名]芦北町計石 早崎早崎(そうざき)は「国誌」に「竿ケ崎」「沢カ崎」と記され、佐敷(さしき)湾口を扼する突端の地域名で、計石と鶴木山(つるぎやま)の中間に位置する。細川氏は寛永一七年(一六四〇)黒船・白船の遠見のため佐敷山と豊後鶴崎(つるさき)(現大分市)に番人二人ずつの配置を命じており(熊本藩年表稿)、佐敷山は計石の番所をさすと推定される。計石が面する湾を「肥後の佐志城の浦」と称し、ここで慶長年間(一五九六―一六一五)と思われる頃「阿蘭陀(おらんだ)船と南蛮船と呂宋(るそん)の番島にて炮戦し、南蛮船は阿蘭陀船に逐はれて、肥後の佐志城の浦に逃込みし時」(「長崎縁起略記」長崎県立図書館蔵)といった事件があったため、遠見番を置いたと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by