日本歴史地名大系 「詰村」の解説 詰村ひづめむら 富山県:高岡市旧礪波郡地区詰村[現在地名]高岡市樋詰祖父(そふ)川左岸に位置し、東は辻(つじ)村、北は六家(ろつけ)村。樋爪・日詰とも書き、下日詰ともいった(川合家文書)。延宝四年(一六七六)に樋詰に定まったという。草分は現砺波(となみ)市樋詰、または氷見(ひみ)市日詰から移住したと伝える(続高岡史話)。北陸街道が通る。元和五年(一六一九)の家高新帳では中保村組に属して樋詰村とみえ、役家数三。正保郷帳では高七九石余、田方四町六反余・畑方七反。寛文一〇年(一六七〇)の村御印には下日詰村とあり、草高一六三石・免五ツ、小物成は鮭役一四五匁(うち八四匁出来)・猟船櫂役一〇匁(三箇国高物成帳)。 詰村ひのつめむら 埼玉県:桶川市詰村[現在地名]桶川市川田谷(かわたや)川田谷村の南にあり、南から西にかけては荒川を隔て比企郡出丸下郷(いでまるしもごう)・出丸中郷(現川島町)。江(え)川が荒川に注ぐ地点に位置する。足立郡石戸(いしと)領に属し(風土記稿)、川田谷村の枝郷。田園簿では本村に含まれており、元禄郷帳では川田谷村枝郷として樋詰村一〇二石余と記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by