桶川市(読み)オケガワシ

デジタル大辞泉 「桶川市」の意味・読み・例文・類語

おけがわ‐し〔をけがは‐〕【桶川市】

桶川

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日本歴史地名大系 「桶川市」の解説

桶川市
おけがわし

面積:二五・二八平方キロ

県中東部に位置し、東は蓮田市・北足立郡伊奈いな町、西は比企郡川島かわじま町、南は上尾市、北は北本市・鴻巣市・南埼玉郡菖蒲しようぶ町に接する。大宮台地の中北部を占め、台地内には樹枝状の谷が入り込む。西端を荒川が南流し、西部には荒川低地が発達する。市内に水源をもつ川が三本あり、しば川とかも川はいずれも市の中央部、JR桶川駅の西口付近から東西に分れて流れ始めている。三本目は小針領家の備前こばりりようけのびぜん堤に水源の標識が立つ綾瀬川で、南東へ流れる。鴻巣―桶川―大宮線(旧中山道)、国道一七号、JR高崎線が南東から北西に、南西から北東に県道川越―栗橋くりはし線が走り、東端を上越新幹線が通る。市名の桶川の由来は河川の源流があるところから生れたといわれ、興川おきがわの文字が当てられた例もある。

〔原始・古代〕

旧石器時代の遺跡は市域西半分に一三ヵ所、東半分に六ヵ所確認され、とくに荒川に注ぐ川によってつくられた開析谷に臨む台地先端部に集中している。昭和六二年(一九八七)現在の調査で立川ローム層の中から石器を出土した遺跡は一二ヵ所で、上日出谷かみひでやみや遺跡、小針領家の本村ほんむら遺跡、加納かのう提灯木山ちようちんぎやま遺跡等からは礫群、掻器・石刃等が出土している。縄文時代の遺跡は約一五〇ヵ所確認される。草創期の遺跡としては、有舌尖頭器や矢柄研磨器などを出土した高井たかい遺跡・愛宕あたご遺跡(上日出谷・下日出谷)山王さんのう遺跡・西台にしだい遺跡・大平おおひら遺跡(川田谷)後谷うしろや遺跡(赤堀)等、早期の遺跡は小在家こざいけ遺跡(川田谷)堀の内ほりのうち遺跡(坂田)などがある。早期から前期へ移行する間に第一回の縄文海進があり、川田谷かわたやの字諏訪野すわのには昭和三七年頃まで貝殻の散布がみられ、谷津やつ貝塚があったといわれる。前期の遺跡では愛宕西遺跡(上日出谷)、海退が進んだ中期の遺跡には高井遺跡(下日出谷)・小在家遺跡・堀の内遺跡がある。高井遺跡では大集落跡が確認された。後期では高井東遺跡(上日出谷・下日出谷)、晩期では同遺跡のほか後谷遺跡が著名である。とくに後谷遺跡は縄文時代後期から晩期にかけての泥炭層遺跡として豊富な遺物を出土した。

弥生時代の遺跡は昭和六三年現在で四二ヵ所の後期の遺跡が確認され、とくに後期後半の遺跡は川田谷二〇ヵ所・加納一三ヵ所・旧桶川町域九ヵ所がある。大部分は江川水系の樹枝状谷の台地肩部と赤堀川筋の低湿地に臨んだ台地上、または自然堤防上にある。いずれも泥深い低湿地が近くにあり、稲作を営むのに適地であったのであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「桶川市」の意味・わかりやすい解説

桶川〔市〕
おけがわ

埼玉県中部,大宮台地にある市。 1955年桶川町と加納 (かのう) 村が合体,さらに川田谷 (かわたや) 村と合体し,70年市制。中心市街地の桶川は江戸時代は中山道の宿場町,近隣農村相手の市場町ベニバナ桶川臙脂 (えんじ) の集散地として発展。 1950年代から機械,食品,金属工業の工場が進出し,JR高崎線沿線に伸びる工業地帯の一角を形成。高崎線で東京まで約1時間の近距離にあるため,住宅都市化が急速に進んだ。川田谷にある泉福 (せんぷく) 寺の本尊,木造阿弥陀如来坐像は平安末期の作といわれ重要文化財。面積 25.35km2。人口 7万4748(2020)。

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