川田谷村(読み)かわたやむら

日本歴史地名大系 「川田谷村」の解説

川田谷村
かわたやむら

[現在地名]桶川市川田谷

上日出谷かみひでや村・下日出谷村の西にあり、両村と村境が錯雑する。東を川が南流し、西は荒川を隔て比企郡おもて(現川島町)。現在は河川改修によって一部が荒川西岸になっている。江川上流には浸食谷がみられ、谷津が発達して湧水池が多くみられる。応永四年(一三九七)七月二〇日の足利氏満寄進状(黄梅院文書)などにみえる「河田郷」の遺称地。永禄一一年(一五六八)二月一〇日の泉福寺海証状(中院文書)には「河田谷泉福寺」とある。

天正一八年(一五九〇)九月七日の伊奈忠次知行書立(「牧野系譜」京都府舞鶴市立西図書館蔵)に「河田や」とあり、牧野康成に与えられた石戸いしと領八ヵ村の一村康成は北西の天沼あまぬまに陣屋を構え(風土記稿)、孫親成の頃まで存続したとみられる。遺構は明治初年に削平されたと伝えられ、北から南に湿地が広がる台地の先端部に、現在も土塁と堀の跡をわずかに残している。石戸領は康成の没後、子の信成が継ぎ、正保元年(一六四四)信成が一万七千石に加増されて下総国関宿せきやど(現千葉県関宿町)城主となると嫡男親成に与えられた。同四年に信成が隠棲し親成に後を譲ると、石戸領は信成に養老料として与えられた。慶安三年(一六五〇)の信成没後は石戸領五千石は分けられ、親成の弟旗本の尹成に二千石、同永成と成房とに各一千五〇〇石が与えられた(寛政重修諸家譜)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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