日本大百科全書(ニッポニカ) 「諸九尼」の意味・わかりやすい解説
諸九尼
しょきゅうに
(1714―1781)
江戸中期の俳人。永松氏。通称なみ。初号は雎鳩(しょきゅう)。別号蘇天(そてん)、湖白庵(こはくあん)二世、千鳥庵後婦。筑後(ちくご)竹野郡唐島(からしま)(福岡県久留米(くるめ)市田主丸(たぬしまる)町志塚島(しづかしま))の出で、医を業とする俳人有井浮風(ありいふふう)と結婚、難波(なにわ)(大坂)に移り、ともに野坡(やば)の門人となる。1762年(宝暦12)49歳で夫に死別後、剃髪(ていはつ)した。蝶夢(ちょうむ)の援助により湖白庵を結ぶが、生来、旅を好み各地を行脚(あんぎゃ)した。71年(明和8)の奥州旅行では紀行『秋風記(あきかぜのき)』を著した。蓼太(りょうた)、烏明(うめい)、大江丸(おおえまる)らと風交、俳壇の名声も得たが、晩年を夫の出身地直方(のおがた)在(福岡県直方市)で送った。編著に『その行脚』(1763)ほか。天明(てんめい)元年9月10日没。
[松尾勝郎]
行春や海を見てゐる鴉(からす)の子
『大内初夫他編『湖白庵諸九尼全集』(1960・同書刊行会)』