日本歴史地名大系 「諸寄村」の解説 諸寄村もろよせむら 兵庫県:美方郡浜坂町諸寄村[現在地名]浜坂町諸寄芦屋(あしや)村の西に位置する。北は湾入する日本海に面し、北流してこの湾に注ぐ大栃(おおとち)川やその支流二又(ふたまた)川の流域を村域とする。湾入部は天然の良港で、近世には西廻航路の風待湊となり、諸国の船が入津して賑いをみせた。本村集落はその海岸部に発達、本村南方の谷筋に奥諸寄(おくもろよせ)・宝木(ほうき)・京屋(きようや)の集落がある。本村は漁業・回漕業、奥諸寄・宝木・京屋は農業が生業の中心で、ほか砥石も特産であった。当地の海浜は雪の白浜(ゆきのしらはま)の美称でよばれ、古くから歌枕として都人にも知られた。「枕草子」の「浜は」の段にも「もろよせの浜」が載る。弘治三年(一五五七)の「但馬国にしかた日記」に「もろよせ御志ろ」「同はまのぶん」とみえる。「もろよせ御志ろ」(諸寄城)とは湾の東方、城(しろ)山頂部(芦屋地内)の芦屋城(城主は塩冶氏)のことで、「はまのぶん」(浜の分)が当地にあたり、浜の分には塩冶氏家臣の松堀隠岐殿・同右京進殿・はしひやうこの助殿ほかが居を構えていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by