謝富治(読み)しゃふじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「謝富治」の意味・わかりやすい解説

謝富治
しゃふじ / シエフーチー
(1907―1972)

中国の軍人湖北(こほく/フーペイ)省黄安出身。1930年紅軍に参加。1935年長征時、張国燾(ちょうこくとう/チャンクオタオ)派から毛沢東(もうたくとう/マオツォートン)派に転じる。建国後、川東軍区政治委員。1950年西南軍政委員。1956年党中央委員。1959年公安相。1963年北京(ペキン)の公安部隊司令、大将。1965年副首相。1966年党政治局員。1967年1月軍文革副小組長となって北京の奪権闘争を指導、同年4月、北京市革命委員会主任となる。北京部隊政治委員。北京治安の最高責任者として1968年には天安門上の党内序列では9位。1971年北京市党第一書記となり、1972年病死。1980年に至って「文化大革命」期の弾圧の責任を問われて党籍剥奪(はくだつ)された。

[高市恵之助・渋谷 司]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「謝富治」の意味・わかりやすい解説

謝富治
しゃふじ
Xie Fu-zhi

[生]光緒34(1908).湖北
[没]1972.3.26. 北京
中国の軍人,政治家。紅軍大学卒業後,八路軍に入り,指揮官,政治委員をつとめた。 1949年西南軍政委員会委員,第2野戦軍第3兵団第 10軍長,56年共産党8期中央委員。 59年に中国政府公安部長。 65年以来,副総理,公安部隊司令官を兼任。 66年の文化大革命後,北京市長彭真の失脚に伴って北京市の責任者となり,67年同市革命委員会主任。 69年の九全大会で中央委員,政治局委員。 71年3月北京市党委員会第一書記。 72年に没したのち,80年 10月 16日に,文革期において林彪江青の謀略活動に直接参加したことを理由に中央から党籍剥奪を決定された。 81年1月最高裁判所特別法廷は謝富法を林彪,江青反革命集団の主犯と認定している。

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