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張国燾 ちょうこくとうZhang Guo-dao

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

張国燾
ちょうこくとう
Zhang Guo-dao

[生]光緒24(1898).江西,吉水
[没]1979.12.3. トロント
中国共産党の初期の指導者の一人。字は特立。北京大学在学中にマルクス主義研究会のメンバーとなり,五・四運動では学生指導者の一人として活動。 1921年中国共産党創立大会に北京代表として出席し,その後党中央にあって指導的地位を占めた。 24年の国民党一全大会で国民党候補中央執行委員に選ばれたが,国共合作には,ブルジョアジーの革命参加に反対して極左的立場をとった。 30~31年共産党ソ連駐在代表,31年瑞金に中華ソビエト共和国臨時政府が樹立されると副主席に選ばれた。 34年からの長征の途中,35年第1方面軍と合流ののち,毛沢東,朱徳ら党中央の決定した北上抗日の方針に反対し,四川,西康省境に革命根拠地をつくることを主張し,紅軍を分裂させ,毛沢東らの党中央とは別個に新中央をつくり,別行動をとって四川,西康両省に約1年とどまった。遅れて北上した第2方面軍の圧力とコミンテルンの調停により,新中央を解消して 36年北上を再開し,10月甘粛で第1方面軍と合流したが,中ソ国境に根拠地をつくるという主張に固執し,2万余の西路軍を編成して新疆に進ませ全滅に近い損害を受けた。 37年自己批判を公表し,陝北地区でなお要職を歴任したが,党中央の方針に反対し,38年国民党に投降して反共工作に従事し,党中央から除名された。第2次世界大戦後ホンコンに住み,評論家として反共的な執筆活動を行なっていたが,のちカナダへ移住した。

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デジタル大辞泉の解説

ちょう‐こくとう〔チヤウコクタウ〕【張国燾】

[1898~1979中国共産党の創立者の一人。江西省の人。共産党中央委員・中華ソビエト共和国臨時政府副主席などを歴任。長征に際して毛沢東らと対立、党籍を剥奪されて香港に亡命。のちカナダに移住。チャン=クオタオ。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちょうこくとう【張国燾 Zhāng Guó tāo】

1898‐1979
中国共産党創立者の一人。江西省吉水県の地主郷紳の家に生まれ,北京大学在学中五・四運動リーダーとして活躍し,李大釗(りたいしよう),陳独秀との接触を通じてマルクス主義に共鳴し,1920年9月,李大釗らと北京に共産主義グループを結成,中共党創立大会に北京代表として参加した。22年1月モスクワ開かれた極東諸民族(または勤労者)大会に出席してレーニンと会った。帰国後党中央委員,同時に国民党中央委員候補として国民革命に活躍,国共分裂後八・一南昌蜂起に参加し,敗北後入ソ。

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大辞林 第三版の解説

ちょうこくとう【張国燾】

1898~1979) 中国共産党創立者の一人。1931年中華ソビエト共和国臨時政府副主席。長征中、毛沢東と対立し、38年党籍を剝奪されて香港に亡命。チャン=クオタオ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

張国
ちょうこくとう / チャンクオタオ
(1898―1979)

中国の政治家。江西省の大地主の家に生まれる。北京(ペキン)大学の在学中に李大(りたいしょう)らとマルクス研究会を組織、1919年の五・四運動の学生指導者の1人、1921年の中国共産党の創立者の1人でもある。1927年共産党中央委員、南昌(なんしょう)暴動に参加、南征の途中に敗れて上海(シャンハイ)からモスクワに逃れ、1931年帰国後は中華ソビエト共和国臨時政府副主席などを歴任、長征軍に合流した。のち、毛沢東(もうたくとう)らの陝北(せんほく)へ北上する方針に反対して四川(しせん)省・西康省に根拠地を置く説を主張、1年間そこにとどまり、のちに陝北に合流したが、毛沢東らと意見があわず、1938年党籍を剥奪(はくだつ)され、香港(ホンコン)に亡命し、1968年カナダに移住、客死した。[加藤祐三]

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世界大百科事典内の張国燾の言及

【朱徳】より

… 30年末に始まった国民党軍による大規模な包囲攻撃を巧みに打ち破り,革命根拠地の拡大に貢献したが,34年,党中央・中央紅軍とともに〈長征〉を余儀なくされた。長征途上張国燾(ちようこくとう)が北上を拒んで西康にとどまった際,朱徳は張国燾およびその率いる第4方面軍と行動をともにしつつ張国燾と闘争,36年第4方面軍を指揮して北上し,陝西省で中央に合流させた。37年,国共合作で紅軍より改組された八路軍の総司令となり,山西省の前線で日本軍に抗戦,39年延安へ戻った。…

※「張国燾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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