護法寺跡(読み)ごほうじあと

日本歴史地名大系 「護法寺跡」の解説

護法寺跡
ごほうじあと

[現在地名]鎌倉市二階堂

大倉おおくら幕府跡の東北、荏柄えがら天神社の傍らにあったと伝える(風土記稿)臨済宗。鎌倉尼五山の一つ。明確な寺史は未詳だが、覚菴尼によって開かれたらしく(秋澗録)、時代的には「延宝伝燈録」の護法寺尼愚仁禅師伝記に、禅師が無学祖元に謁した様子がみえ、弘安年中(一二七八―八八)頃の創建と考えられる。「殿中以下年中行事」によると、一月一六日、五山ならびに尼五山の長老とともに関東公方の館に参上し、茶の供応を受けている。


護法寺跡
ごほうじあと

小町こまちの町名番地変更となる以前、小町字名に護法寺があった。宗旨未詳。二階堂の荏柄にかいどうのえがら天神社傍らに所在した護法寺との関係は不明。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む