日本歴史地名大系 「讃岐国府跡」の解説
讃岐国府跡
さぬきこくふあと
国府の設置時期は不明だが、寛仁四年(一〇二〇)の万農池後碑銘には大宝年中(七〇一―七〇四)の国守として道守朝臣の名がみえる。国司補任の初見は「続日本紀」和銅元年(七〇八)三月一三日条で、従五位上大伴宿禰道足が讃岐守に補され、同六年五月一二日には国司として
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
国府の設置時期は不明だが、寛仁四年(一〇二〇)の万農池後碑銘には大宝年中(七〇一―七〇四)の国守として道守朝臣の名がみえる。国司補任の初見は「続日本紀」和銅元年(七〇八)三月一三日条で、従五位上大伴宿禰道足が讃岐守に補され、同六年五月一二日には国司として
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