讃岐国府跡(読み)さぬきこくふあと

日本歴史地名大系 「讃岐国府跡」の解説

讃岐国府跡
さぬきこくふあと

[現在地名]坂出市府中町

府中ふちゆう町の北部、本村の綾ほんむらのあや川左岸にある。所在地一帯は古代の阿野あや甲智こうち(和名抄)の地で、郷内に南海道の河内こうち(「延喜式」兵部省)があった。北東方の現綾歌あやうた国分寺こくぶんじ国分こくぶ讃岐国分寺跡があり、南海道はそのやや南を西進、綾川右岸の綾坂から国府に入ったものと推定されている。北方約一里余には外港松山まつやま津があった。

国府の設置時期は不明だが、寛仁四年(一〇二〇)の万農池後碑銘には大宝年中(七〇一―七〇四)国守として道守朝臣の名がみえる。国司補任の初見は「続日本紀」和銅元年(七〇八)三月一三日条で、従五位上大伴宿禰道足が讃岐守に補され、同六年五月一二日には国司として寒川さんがわ郡の二六人の貫籍を要請している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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