谷中感応寺中門前町(読み)やなかかんのうじなかもんぜんちよう

日本歴史地名大系 「谷中感応寺中門前町」の解説

谷中感応寺中門前町
やなかかんのうじなかもんぜんちよう

[現在地名]台東区谷中やなか七丁目

谷中やなか感応寺かんのうじ門前町の東にあり、谷中感応寺(現天王寺)西側門前に形成された町屋。古くから感応寺領であった。元禄一七年(一七〇四)に同寺住職仏頂院が寺社奉行所に町屋家作の開設を出願して認められて起立。延享二年(一七四五)に支配が寺社奉行から町奉行に変更になった。東は感応寺境内、西は道を隔てて谷中感応寺新門前町谷中養泉寺やなかようせんじ門前・常在じようざい寺・長安ちようあん寺・谷中観音寺やなかかんのんじ門前・海蔵かいぞう院・谷中片やなかかた町が連なり、南は谷中感応寺表門前新茶屋やなかかんのうじおもてもんぜんしんちやや町、北は谷中感応寺やなかかんのうじ古門前町。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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