谷口 長雄
タニグチ ナガオ
明治・大正期の医学者 熊本医学校創立者。
- 生年
- 元治2年4月6日(1865年)
- 没年
- 大正9(1920)年1月14日
- 出生地
- 伊予国宇和島(愛媛県)
- 旧姓(旧名)
- 告森
- 学歴〔年〕
- 帝国大学医科〔明治23年〕卒,ベルリン大学卒
- 学位〔年〕
- 医学博士〔明治39年〕
- 経歴
- 愛媛県立松山病院院長、熊本県立病院院長を経て、明治29年熊本医学校を創立する。35年ドイツに留学し、ベルリン大学でエーワルド教授、クラウス教授について内科学一般を研究。帰国後、37年医学校の後身の熊本医学専門学校(現・熊本大学医学部)校長に就任した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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谷口長雄 たにぐち-ながお
1865-1920 明治-大正時代の医学者。
元治(げんじ)2年4月6日生まれ。谷口弥三郎の養父。愛媛県立松山病院,熊本県立病院の院長をへて明治29年熊本医学校を創立。35年ドイツに留学し,内科学を研究。37年医学校の後身の熊本医専(現熊本大医学部)校長。大正9年1月14日死去。56歳。伊予(いよ)(愛媛県)出身。帝国大学卒。旧姓は告森(こつもり)。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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