日本歴史地名大系 「谷奥一号墳」の解説 谷奥一号墳たにおくいちごうふん 鳥取県:気高郡気高町湯村谷奥一号墳[現在地名]気高町勝見JR山陰本線浜村(はまむら)駅南西約〇・五キロの丘陵の稜線上や丘腹に三〇基余りの円墳を主流にした古墳群のうちの一で、当古墳は丘陵先端付近の丘腹平坦面に位置する。当古墳の南に隣接して二号墳があり、両古墳とも東に向けて開口する横穴式石室を内部構造とする。江戸時代および明治四四年(一九一一)の二回、石垣・庭石・石橋用石材に用いるため破壊したと伝える。当墳は全長一一メートル・幅二メートル程度と推定され、奥壁一枚・左側壁一枚、二号墳は一回り大きく奥壁一枚と両側壁に二枚残存する。明治の際には二号墳から数体の人骨のみ出土している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by