谷川昇(読み)タニカワ ノボル

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「谷川昇」の解説

谷川 昇
タニカワ ノボル


肩書
衆院議員(自由党),内務省警保局長

生年月日
明治29年5月27日

出生地
広島県加茂郡

学歴
イリノイ大学政治経済学科卒 ハーバード大学大学院自治行政学専攻修了

経歴
大正時代アメリカへ留学。13年内務省に入り、昭和17年東京市市民局長、18年東京都防衛局長。戦後は20年山梨県知事を経て、21年幣原内閣の警保局長。22年より衆院議員に当選2回、自由党幹事長内定の段階で公職追放。落選中の25年指名手配中の共産党徳田球一書記長に潜伏場所を提供、2月から8月まで逗子市川間町の台湾系中国人邸にかくまい、神戸港から北京への密出国に協力した秘話は、政界を驚かした。

没年月日
昭和30年2月28日

家族
長男=谷川 和穂(法相)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「谷川昇」の解説

谷川 昇
タニカワ ノボル

昭和期の官僚,政治家 衆院議員(自由党);内務省警保局長。



生年
明治29(1896)年5月27日

没年
昭和30(1955)年2月28日

出生地
広島県加茂郡

学歴〔年〕
イリノイ大学政治経済学科卒,ハーバード大学大学院自治行政学専攻修了

経歴
大正時代アメリカへ留学。13年内務省に入り、昭和17年東京市市民局長、18年東京都防衛局長。戦後は20年山梨県知事を経て、21年幣原内閣の警保局長。22年より衆院議員に当選2回、自由党幹事長内定の段階で公職追放。落選中の25年指名手配中の共産党徳田球一書記長に潜伏場所を提供、2月から8月まで逗子市川間町の台湾系中国人邸にかくまい、神戸港から北京への密出国に協力した秘話は、政界を驚かした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「谷川昇」の解説

谷川昇 たにかわ-のぼる

1896-1955 昭和時代の官僚,政治家。
明治29年5月27日生まれ。ハーバード大大学院を修了して内務省にはいる。東京市市民局長,東京都防衛局長,山梨県知事,内務省警保局長を歴任。昭和22年衆議院議員(当選2回,自由党)。昭和30年2月28日死去。58歳。広島県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「谷川昇」の解説

谷川 昇 (たにかわ のぼる)

生年月日:1896年5月27日
昭和時代の官僚;政治家。衆議院議員
1955年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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