谷衛友(読み)たにもりとも

改訂新版 世界大百科事典 「谷衛友」の意味・わかりやすい解説

谷衛友 (たにもりとも)
生没年:1563-1627(永禄6-寛永4)

安土桃山時代,江戸初期の武将通称は甚太郎。出羽守。父衛好は初め美濃斎藤氏に属し,のち織田信長に仕えた。父とともに中国征伐従軍,1579年(天正7)播磨三木城攻撃で討死した父の跡を継いで豊臣秀吉に仕え,丹波何鹿郡山家(やまが)で1万6000石を領する。関ヶ原の戦では西軍に属して細川藤孝の丹後田辺城攻撃に加わったが,細川氏のとりなしで戦後徳川氏より所領を安堵された。大坂の陣に従軍するなど,山家藩の基を築いた。
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関連語 加藤

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「谷衛友」の解説

谷衛友 たに-もりとも

1563-1628* 織豊-江戸時代前期の武将,大名
永禄(えいろく)6年生まれ。谷衛好(もりよし)の子。父とともに豊臣秀吉につかえる。関ケ原戦いでは西軍に属したが,ひそかに東軍に通じたためとがめをうけず,戦後本領の丹波山家(やまが)藩(京都府)藩主谷家初代となった。1万6000石。寛永4年12月23日死去。65歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。通称は甚太郎。

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