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谷衛友 たに もりとも

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

谷衛友 たに-もりとも

1563-1628* 織豊-江戸時代前期の武将,大名。
永禄(えいろく)6年生まれ。谷衛好(もりよし)の子。父とともに豊臣秀吉につかえる。関ケ原の戦いでは西軍に属したが,ひそかに東軍に通じたためとがめをうけず,戦後本領の丹波山家(やまが)藩(京都府)藩主谷家初代となった。1万6000石。寛永4年12月23日死去。65歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。通称は甚太郎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

谷衛友

没年:寛永4.12.23(1628.1.29)
生年:永禄6(1563)
安土桃山・江戸前期の武将。美濃の谷衛好の子。通称を甚太郎といい,のち従五位下出羽守に叙任された。父衛好と共に秀吉に仕えていたが,天正6(1578)年の播磨三木城攻めのとき,討死した父の仇をその場で討った功により6200石の加増をうけている。小田原攻め・文禄の役の功,さらに文禄3(1594)年の伏見城の工事分担の功により,丹波国何鹿郡山家(京都府綾部市)で1万6000石を領した。関ケ原の戦のとき西軍に属して田辺城攻めに加わったが,早くに東軍に寝返ったため,本領を安堵されている。

(小和田哲男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

たにもりとも【谷衛友】

1563‐1627(永禄6‐寛永4)
安土桃山時代,江戸初期の武将。通称は甚太郎。出羽守。父衛好は初め美濃斎藤氏に属し,のち織田信長に仕えた。父とともに中国征伐に従軍,1579年(天正7)播磨三木城攻撃で討死した父の跡を継いで豊臣秀吉に仕え,丹波何鹿郡山家(やまが)で1万6000石を領する。関ヶ原の戦では西軍に属して細川藤孝の丹後田辺城攻撃に加わったが,細川氏のとりなしで戦後徳川氏より所領を安堵された。大坂の陣に従軍するなど,山家藩の基を築いた。

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