豊国郷
とよくにごう
「和名抄」所載の郷。同書の諸本とも訓を欠く。「続日本紀」和銅七年(七一四)三月一五日条の豊前国民二〇〇戸が隼人勧導のために移住したとあり、当郷もこの措置に伴う移住先の一つと考えられる。同様の大分郷が豊後国の郷名に関連することから、この移住策は豊前・豊後両国にわたる地からのものであることを示唆しており、当郷名はその証左でもある。
豊国郷
とよくにごう
「和名抄」諸本にみえる郷名。東急本に「止与久尓」の訓がある。磐田市御殿・二之宮遺跡出土木簡にも「豊国郷戸主小長谷
色万呂戸小長×」との表記がみえる。
豊国郷
とよくにごう
「和名抄」諸本に訓はない。郷域は吉野川の支流梶並川下流右岸の沖積地を中心とする、現英田郡美作町豊国原一帯に推定される。当郷関係の木簡は平城宮跡から「美作国勝田郡豊国郷中男茜」、「(表)美作国勝田郡豊国」「(裏)舂米六斗」の二点が出土している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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