豊年斎 梅坊主
ホウネンサイ ウメボウズ
- 職業
- 寄席芸人(色物)
- 本名
- 松本 梅吉
- 別名
- 後名=豊年斎 太平坊(ホウネンサイ タイヘイボウ)
- 生年月日
- 嘉永7年 1月1日
- 経歴
- 19世紀初頭の文化文政ごろ江戸市中でひろまった大道芸の“かっぽれ”は、正保元年(1644)紀国屋文左衛門が帰国した時の祝い歌ともいわれるが、明治に入って5代菊五郎や9代団十郎が舞台で演じたことから今に伝えられている。その振付をしたのが兄の豊年斎平坊主で、その死後は梅坊主が一座の代表として明治、大正時代に活躍。寄席や小劇場に出演して大道芸を舞台芸にまで磨き上げた。晩年は梅坊主を長男に、平坊主を二男に譲り、自分は豊年斎太平坊と称した。
- 没年月日
- 昭和2年 2月13日 (1927年)
- 家族
- 兄=豊年斎 平坊主(寄席芸人)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
豊年斎 梅坊主
ホウネンサイ ウメボウズ
明治・大正期の寄席芸人(色物) かっぽれ(大道芸)の継承者。
- 生年
- 嘉永7年1月1日(1854年)
- 没年
- 昭和2(1927)年2月13日
- 本名
- 松本 梅吉
- 別名
- 後名=豊年斎 太平坊(ホウネンサイ タイヘイボウ)
- 経歴
- 19世紀初頭の文化文政ごろ江戸市中でひろまった大道芸の“かっぽれ”は、正保元年(1644)紀国屋文左衛門が帰国した時の祝い歌ともいわれるが、明治に入って5代菊五郎や9代団十郎が舞台で演じたことから今に伝えられている。その振付をしたのが兄の豊年斎平坊主で、その死後は梅坊主が一座の代表として明治、大正時代に活躍。寄席や小劇場に出演して大道芸を舞台芸にまで磨き上げた。晩年は梅坊主を長男に、平坊主を二男に譲り、自分は豊年斎太平坊と称した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
豊年斎梅坊主
没年:昭和2.2.13(1927)
生年:安政1(1854)
明治大正期の「かっぽれ踊り」の名手。江戸の生まれ。本名は松本梅吉。幼いころから兄の平坊主に従って願人坊主(乞食僧のこと)の仲間に入り,「かっぽれ踊り」で市中を流し評判をとった。明治17(1884)年陸軍が軍楽用に「かっぽれ」を採譜したこともあって,「かっぽれ踊り」は芝居から花街へと広まる。26年幇間の桜川長孝らと渡米したが,サンフランシスコ上陸直後の興行で失敗,ただちに帰国した。その後は寄席や小劇場に出演して大道芸を舞台芸に磨き上げ,いなせな江戸前の芸として称賛された。晩年は豊年斎太平坊と名乗った。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
豊年斎梅坊主 ほうねんさい-うめぼうず
1854-1927 明治-大正時代の寄席芸人。
嘉永(かえい)7年1月1日生まれ。兄の平(へい)坊主が振り付けをした大道芸かっぽれ踊りをおどり人気をあつめた。兄の死後は一座をひきいてアメリカ公演や寄席出演をして踊りをひろめた。昭和2年2月13日死去。74歳。本名は松本梅吉。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
豊年斎 梅坊主 (ほうねんさい うめぼうず)
生年月日:1854年1月1日
明治時代;大正時代の寄席芸人
1927年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報