豊沢松太郎(読み)トヨザワ マツタロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「豊沢松太郎」の解説

豊沢 松太郎(2代目)
トヨザワ マツタロウ


職業
義太夫節三味線方

本名
高木 芳太郎

別名
前名=豊沢 芳太郎

生年月日
明治28年 11月17日

出生地
大阪

経歴
文楽から東京に転じた父初代松太郎に師事、豊沢芳太郎を名乗った。昭和30年5月東京日本橋白木劇場で自身節付けの「京名所」「松の寿」などで2代目を襲名。「傾城倭草子」の蝶の道行や「日光山」道行、景事物を得意とした。義太夫因協会が37年旧義太夫協会と合併、新しい義太夫協会に改組し、初代会長を務めた。息子の豊沢義三郎が後継者。

没年月日
昭和43年 5月12日 (1968年)

家族
父=豊沢 松太郎(初代),息子=豊沢 義三郎


豊沢 松太郎(初代)
トヨザワ マツタロウ


職業
義太夫節三味線

本名
高木 松太郎

生年月日
安政4年 4月18日

出生地
大坂(大阪府)

経歴
初代鶴沢清六、5代目および6代目豊沢広助らに師事。のち2代目豊沢団平、5代目鶴沢友次郎の指導も受けた。慶応3年豊沢松太郎と名乗る。初代豊竹呂太夫の相三味線を経て、彦六座出勤。明治26年退座、その後上京して竹本朝太夫の相三味線を長く務めた。

没年月日
昭和13年 10月19日 (1938年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「豊沢松太郎」の解説

豊沢 松太郎(2代目)
トヨザワ マツタロウ

明治〜昭和期の義太夫節三味線方



生年
明治28(1895)年11月17日

没年
昭和43(1968)年5月12日

出生地
大阪

本名
高木 芳太郎

別名
前名=豊沢 芳太郎

経歴
文楽から東京に転じた父初代松太郎に師事、豊沢芳太郎を名乗った。昭和30年5月東京日本橋白木劇場で自身節付けの「京名所」「松の寿」などで2代目を襲名。「傾城倭草子」の蝶の道行や「日光山」道行、景事物を得意とした。義太夫因協会が37年旧義太夫協会と合併、新しい義太夫協会に改組し、初代会長を務めた。息子の豊沢義三郎が後継者。


豊沢 松太郎(1代目)
トヨザワ マツタロウ

明治〜昭和期の義太夫節三味線方



生年
安政4年4月18日(1857年)

没年
昭和13(1938)年10月19日

出生地
大阪

本名
高木 松太郎

経歴
初代鶴沢清六、5代目および6代目豊沢広助らに師事。のち2代目豊沢団平、5代目鶴沢友次郎の指導も受けた。慶応3年豊沢松太郎と名のる。初代豊竹呂太夫の相三味線を経て、彦六座に出勤。明治26年退座、その後上京して竹本朝太夫の相三味線を長く務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「豊沢松太郎」の解説

豊沢松太郎(2代) とよざわ-まつたろう

1895-1968 明治-昭和時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
明治28年11月16日生まれ。初代豊沢松太郎の子。父に三味線をまなび,豊沢芳太郎を名のる。昭和30年2代を襲名。37年義太夫協会初代会長となった。昭和43年5月12日死去。72歳。大阪出身。本名は高木芳太郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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