豊田本郷村(読み)とよだほんごうむら

日本歴史地名大系 「豊田本郷村」の解説

豊田本郷村
とよだほんごうむら

[現在地名]平塚市豊田本郷・北豊田きたとよだ南豊田みなみとよだ東中原ひがしなかはら二丁目・中原なかはら三丁目

西境すず川が流れ、東は宮下みやした村、北は城所きどころ村・矢崎やさき村、南は平等寺びようどうじ村に接する。東境を南北に通る中原道から大山道が中央で分れ、西へ横断し西境を北へ通る。「風土記稿」によれば東方たま(現渋田川)に沿って散田とよばれる飛地一一町四反一畝余がある。

「吾妻鏡」文治四年(一一八八)一一月二七日条にみえる「相模国豊田庄」の一部。また源頼朝の挙兵に従った武士豊田五郎景俊の名字の地。小田原衆所領役帳には布施弾正左衛門「百六貫文 豊田之内為寄子給被下」、玉井平六「卅貫文 中郡豊田之内」、玉井帯刀左衛門「百五拾弐貫六百三拾文 中郡豊田郷」とある。正保国絵図に「豊田」、元禄郷帳に「豊田本郷村」とある。「風土記稿」は古くは宮下村・小峯こみね村・平等寺村一村で、分村年代は不詳とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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