豊田毒湛(読み)トヨダ ドクタン

20世紀日本人名事典 「豊田毒湛」の解説

豊田 毒湛
トヨダ ドクタン

江戸時代末期〜大正期の僧侶 臨済宗妙心寺派管長。



生年
天保11年(1840年)

没年
大正6(1917)年1月9日

出生地
美濃国本巣郡牛牧村祖父江(岐阜県)

本名
豊田 匝三

別名
別号=高源室

経歴
弘化4年(1847年)郷里・美濃の東光寺・晙桑の法弟となり、翌年得度。安政4年(1857年)近江永源寺の海州楚棟に参禅、のち筑後・梅林寺羅山元磨の下で得悟。文久2年(1862年)東光寺継嗣となる。明治5年美濃妙心寺派取締となり、7年東光寺を譲り、11年岐阜の大仙院に住職となる。この間、潭海玄昌の印可を受け法を継ぐ。14年京都・円福寺住職、19年岐阜・永保寺住職を経て、29年南禅寺派管長、42年妙心寺派管長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「豊田毒湛」の解説

豊田毒湛 とよだ-どくたん

1840-1917 幕末-大正時代の僧。
天保(てんぽう)11年生まれ。臨済(りんざい)宗。郷里美濃(みの)(岐阜県)の東光寺の晙桑(しゅんそう)について出家。明治11年潭海(たんかい)玄昌の法をつぐ。29年南禅寺派管長,42年妙心寺派管長をつとめた。大正6年1月9日死去。78歳。名は匝三(そうさん)。別号に高源室。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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