賀張村(読み)かばりむら

日本歴史地名大系 「賀張村」の解説

賀張村
かばりむら

[現在地名]沙流(さる)郡門別町字賀張・字厚賀町(あつがちよう)

明治初年(同二年八月から同六年の間)から明治四二年(一九〇九)までの村。沙流郡の南部、西の慶能舞(けのまい)村と東の厚別(あつべつ)村との間に位置する。北は山岳地で、リビラ山(一二九一メートル)などがそびえ、南西は太平洋に面する。賀張川が南西に流れ、その沿岸に細長い原野がある(「状況報文」など)。近世の史料にカバリ、フクモミとみえる地などからなる。明治六年七月の「日高国地誌提要」に加張村・賀張村とみえる。同年一二月の浦河支庁管下の村調査では賀張村(「事業報告」第一編)、明治九年の大小区画沿革表にも賀張村とあって、この頃には賀張の表記が確定していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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