門別町(読み)もんべつちよう

日本歴史地名大系 「門別町」の解説

門別町
もんべつちよう

面積:四二八・七三平方キロ

昭和二七年(一九五二)四月沙流さる門別村が町制施行して成立、字名は門別村時代の旧一八字を継承した。日高支庁管内の西端に位置し、南東は新冠にいかつぷ新冠町、北は平取びらとり町、北西は胆振支庁勇払ゆうふつ鵡川むかわ町に接し、南西は太平洋に臨む。西から東へ順に沙流川日高門別ひだかもんべつ川・波恵はえ川・慶能舞けのまい川・賀張かばり川、東端の新冠町との境界に沿って厚別あつべつ川が流れ、各海岸で海に注ぐ。これらの河川の河口流域本町ほんちよう富川とみかわ地区、厚賀町あつがちようなどの市街や各集落が形成される。北東方、平取町・新冠町との境にリビラ山(一二九一メートル)がそびえるほかは丘陵地が広がる。海岸近くをJR日高本線、国道二三五号が通り、日高本線の富川・日高門別・豊郷とよさと清畠きよはた厚賀各駅がある。また富川市街で国道二三五号から分岐する同二三七号が沙流川に沿って走る。近世はサル場所のうち。明治二年(一八六九)八月の国郡画定により沙流郡に所属。同年一〇―一一月に沙流川の流域や日高門別川の流域など、沙流郡の西半にあたる地は仙台藩、波恵川流域以東の郡東半部は近江彦根藩支配地となった。当町域では佐瑠太さるふと平賀びらが・門別などが仙台藩、波恵・慶能舞・賀張などが彦根藩の支配地となったが、同四年に両藩とも沙流郡の支配を解かれている(「北海道志」巻一など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報