賀磨能峯社跡(読み)かまのみねしやあと

日本歴史地名大系 「賀磨能峯社跡」の解説

賀磨能峯社跡
かまのみねしやあと

賀磨能峯は「文徳実録」仁寿元年(八五一)一〇月八日条に「長門国鹿・集福・賀磨能峯・壬生等四神、並授従五位下」とみえる。賀磨は賀万かまに通じるから、「和名抄」に記される賀万郷内の峰を神体とする神名であろう。

「注進案」は賀磨能峯を大津おおつ渋木しぶき(現長門市)と美祢郡嘉万村にまたがる花尾はなお(六六九・一メートル)に、社を山頂に祀られる金山毘古神(現吉野神社)に比定する。しかし花尾山は嘉万村の南端の地以外からは望見できない奥山で、また高山必ずしも霊山でない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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