デジタル大辞泉
「霊山」の意味・読み・例文・類語
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りょう‐ぜんリャウ‥【霊山】
- [ 一 ] 「りょうじゅせん(霊鷲山)」の略。
- [ 二 ] 福島県相馬市と伊達郡霊山町との境にある山。慈覚大師が建立した霊山寺の跡、北畠顕家が義良(のりなが)親王を奉じて拠った霊山城址、霊山神社などがある。標高八二五メートル。
- [ 三 ] 京都市、東山三十六峰の一峰、霊鷲山の略称。元慶八年(八八四)に光孝天皇勅願の正法寺が創建され、以後は正法寺をさしてもいった。
れい‐ざん【霊山】
- 〘 名詞 〙 ( 「れいさん」とも ) 神仏をまつった神聖な山。霊地である山。
- [初出の実例]「今日兵部大輔兼隆朝臣詣二霊山一、途中落馬」(出典:権記‐長保三年(1001)二月四日)
- [その他の文献]〔左思‐呉都賦〕
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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霊山
りようぜん
阿武隈高地の北部、霊山町と相馬市の境界に位置。標高八二三・五メートル。国指定史跡及び名勝。中腹以下の傾斜はゆるやかであるが、山頂付近は新第三紀初期の火山活動によって噴出した霊山層からなり、玄武岩・火山角礫岩・安山岩などの硬い岩層であるため、浸食に耐えて周辺より一段高いテーブル状の山容を呈する。とくに西側は浸食が進み、塔状の奇岩が連続する。北方に古霊山(七八二・五メートル、副霊山とも)がある。山上・山麓には円仁によって開かれたと伝える霊山寺の遺跡が残り、山名も同寺に由来するといわれる。また山頂一帯には、建武四年(一三三七)陸奥国司北畠顕家が義良親王を奉じて拠った霊山城跡がある。霊山一帯は霊山県立自然公園となっており、南麓にはこどもの村などのレクリエーション施設が設けられている。登山口には行合道口(南登山口)・大石口(西登山口)・玉野口(東登山口)などがある。
〔霊山寺〕
寛文五年(一六六五)の霊山寺縁起(霊山寺蔵)によると、貞観元年(八五九)円仁によって開かれたと伝える。
霊山
りようぜん
霊山は霊鷲山の略で、鷲山・鷲尾山ともいい、東山三十六峰の一。また同山付近の字名。
東は旧清閑寺村清水上山、南は清水門前一町目、西は八坂桝屋町、北は旧粟田口村花頂山につづく。現在は桝屋町及び清水三丁目より登り坂があり、山腹の正法寺に通じる。その北に幕末・維新の動乱に倒れた志士を祀る招魂場の京都神社がある。第二次世界大戦後、山麓(下河原町)にコンクリート製の霊山観音像もつくられた。
霊山
れいざん
伊賀町の東部に位置し、ほぼ南北に横たわる。布引山地の北端部を占め、標高七六五・八メートル。北方は加太峠を挟んで旗山(六四九・五メートル)・油日岳(六九四メートル)に始まる鈴鹿山脈が続く。「三国地志」に「霊山寺山、愛田・上村・下柘植共領、按山頂ニ古昔霊山寺廃址アリ(中略)今存スルモノハ、石階五十級岩窟ノ内ノ仏像ノミ、今ノ堂舎ハ十八丁麓ニアリ」とある。江戸時代山頂を含む東西五〇町、南北二〇町は愛田・上・下柘植三村の入会地であった(→下柘植村)。山頂は西方中腹にある霊山寺の奥院で、土塁をめぐらし石室を築いて、その中に青銅製聖観音立像(県指定文化財)が安置される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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霊山(旧町名)
りょうぜん
福島県北東部、伊達郡(だてぐん)にあった旧町名(霊山町(まち))。現在は伊達市霊山町地区で、市の中部に位置し、霊山の西側、広瀬川の中流域を占める地域。旧霊山町は、1955年(昭和30)掛田(かけだ)町と石戸(いしど)、霊山、小国(おぐに)の3村が合併して成立。2006年(平成18)伊達、梁川(やながわ)、保原(ほばら)、月舘(つきだて)の4町と合併して市制施行、伊達市となった。国道115号、349号が通じる。相馬市境の霊山には平安時代に霊山寺が建立された。南北朝時代には北畠顕家(きたばたけあきいえ)が霊山城として拠(よ)り、南朝方の重要拠点となった。中心地区の掛田は広瀬川の支流小国川の中流域にあり、室町時代に懸田氏(かけたうじ)が拠った茶臼館(ちゃうすたて)(古城山)があり、根小屋起源の村と思われる。近世は蚕種、生糸の生産地で、近代には「掛田折返し糸」で知られ、養蚕伝習所もあった。また川俣(かわまた)街道の宿場でもあった。大石(おおいし)川沿いには霊山山頂にあった霊山寺の法灯を継ぐという霊山寺や、北畠顕家らの一族を祀(まつ)る霊山神社がある。養蚕は衰退したが、施設園芸、果樹栽培、シイタケ栽培などが行われる。霊山は国指定史跡・名勝で、霊山県立自然公園域。
[安田初雄]
『『霊山町史』全4巻(1979~1992・霊山町)』
霊山(山)
りょうぜん
福島県北東部、相馬市(そうまし)と伊達市(だてし)霊山町地区の境界にある山。三角点の標高825メートル。阿武隈高地(あぶくまこうち)の北部にあり、山名は、かつてこの山にあった慈覚(じかく)大師円仁(えんにん)の開基と伝えられる霊山寺にちなむ。基盤は花崗閃緑(かこうせんりょく)岩で、その上に新第三紀の火山角礫(かくれき)岩を主とする霊山層が載り、それが長年の侵食、風化作用でとくに西側に急崖(きゅうがい)を形成する。奇岩が屹立(きつりつ)するが、頂上は平坦(へいたん)面として残る。岩塊流その他の化石もみられ、周氷河地形もある。山上、山麓には霊山寺跡があり、南北朝時代には一部伽藍を利用して陸奥守(むつのかみ)北畠顕家(きたばたけあきいえ)が義良親王を奉じて足利(あしかが)側と戦った霊山城跡、顕家が多賀城から移した国司館跡などがあり、霊山全体が国の史跡・名勝に指定されている。また霊山県立自然公園ともなっている。
[安田初雄]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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霊山 (りょうぜん)
福島県伊達市と相馬市にまたがる阿武隈高地北部の山。標高825m。国の史跡,名勝。中腹以下は花コウ岩からなり傾斜もゆるやかであるが,山頂付近は,新第三紀初期の火山活動によって噴出した霊山層からなり,火山角レキ岩,安山岩,玄武岩などの硬い岩層からできているので,浸食に抗し,周辺より一段高いテーブル状の山形をなしている。特に西側と南西側は浸食が進み断崖をなし,鷲岩,離岩,東の物見岩,西の物見岩などの塔状の奇岩が連なり,秋の紅葉期にはみごとな景観を呈する。石田川の谷沿いには国道115号線が通じている。山名は,慈覚大師円仁が天竺の霊鷲山(りようじゆせん)にちなんで859年(貞観1)に開いた霊山寺に由来するといわれる。また山頂には,南北朝時代の1337年(延元2・建武4)陸奥国司北畠顕家が義良(のりよし)親王を奉じて拠った霊山城跡(史)があり,北西山麓には北畠氏をまつる霊山神社がある。
執筆者:大澤 貞一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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霊山[町]【りょうぜん】
福島県北東部,伊達(だて)郡の旧町。霊山西麓を占め,福島市の東に接する。中心は掛田(かけだ)で,製糸・製材工場がある。標高825mの霊山(史跡・名勝)は花コウ岩と玄武岩質集塊岩などからなり,風雨による浸食により奇観を呈する。山頂に北畠顕家(きたばたけあきいえ)の霊山城跡や霊山寺跡,北西麓に霊山神社がある。2006年1月,伊達郡伊達町,梁川町,保原町,月舘町と合併し市制,伊達市となる。87.33km2。9928人(2003)。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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霊山
りょうぜん
福島県北東部,阿武隈高地の北部にある山。標高 825m。新第三紀の安山岩,玄武岩および花崗岩類の溶岩台地からなる。9世紀頃慈覚大師円仁が開山,霊山寺を建立。以来霊山と呼ばれる。今日でも根本堂,堂塔礎石がある。建武中興(1333~36)の際,義良親王を奉じて陸奥国府に下向した北畠顕家が陣地を張った地で,山頂に親王御在碑がある。山麓の霊山神社は北畠一族をまつる。霊山一体は国の史跡・名勝に指定されており,また霊山県立自然公園に属する。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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りょうぜん【霊山】
福島県伊達市霊山町石田、霊山町大石と相馬市玉野との境にそびえる標高825mの山。玄武岩の熔岩台地であり、周囲を断崖絶壁に囲まれているため自然の城郭となり、南北朝時代に南朝の拠点として霊山城が築かれた。1934年(昭和9)に国の史跡および名勝として指定された。霊山は平安時代初期に第3代天台座主、慈覚大師円仁(794~864年)によって開かれ、天台宗の拠点として栄えた。南北朝時代の1337年(延元2)、北畠顕家(あきいえ)が義良(のりなが)親王(後の後村上天皇)を奉じて霊山城を築いた。奥羽地方における南朝方の一大拠点となり、陸奥国の国府が置かれた。1347年(正平2)に落城し、以後、歴史の表舞台から消えた。現在、山頂に国司舘(国府の役人の住居)の礎石が残っている。域内の日枝社観音堂は往時をしのぶ遺構である。霊山城跡へは、JR東北新幹線ほか福島駅から福島交通バス「行合道」下車、徒歩約1時間。
出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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普及版 字通
「霊山」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の霊山の言及
【霊鷲山】より
…その頂が鷲の姿に見えることから,サンスクリットではグリドラクータGṛdhrakūṭa(〈鷲の峰〉の意)と呼ばれ,耆闍崛多(ぎしやくつた)と音写されるため,耆闍崛山(ぎしやくつせん)とも称される。霊鷲山は意訳で,霊山(りようぜん)とも略される。釈迦が説法した地として有名で,大乗経典の《法華経》《無量寿経》もここで説かれたとされる。…
※「霊山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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