日本歴史地名大系 「赤保内村」の解説
赤保内村
あかぼないむら
元和四年(一六二七)の知行目録に「七拾九石七斗五升三合 赤符内」とあり、藩政当初は盛岡藩に属し、根城南部氏に給されていた。寛文四年(一六六四)八戸藩の創設とともに同藩領に編入。八戸藩日記の延宝三年(一六七五)三月五日条に「浜山根御代官所之内赤保内村へ弥次右衛門殿新田野竿打被遣」とみえ、検地が行われている。元禄一〇年(一六九七)の郷村御内所高帳には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報