赤城碑(読み)せきじょうひ

改訂新版 世界大百科事典 「赤城碑」の意味・わかりやすい解説

赤城碑 (せきじょうひ)

韓国中央部の忠清北道丹陽郡丹陽面にある石碑で,1978年に山城跡で掘り出された。縦・横約1m,厚さ約25cmで,材質は花コウ岩。碑石は縦に二つに割れ,上部も細かく砕かれていたが,22行に毎行20字ほどの文字が刻記されていたと推定され,現在約280字が判読されている。碑文に〈赤城〉の地名があり,所在地は高句麗の赤山県(赤城ともいう)であったことから,碑は赤城碑と呼ばれる。碑文には新羅の伊史夫智ら9名の高官の名と官位が,つづいて真興王が赤城と周辺の民に恩典を施し彼らを慰撫したこと,最後に碑の建立に関与した地方官の名と官位とが銘記されている。真興王は東北方面に領土を拡大して記念碑(真興王拓境碑)を建てたが,交通の要衝にあたる赤城がその前進基地であったことが知られる。碑は王の初期(545-560)の建立とみられる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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