真興王拓境碑(読み)しんこうおうたくきょうひ

改訂新版 世界大百科事典 「真興王拓境碑」の意味・わかりやすい解説

真興王拓境碑 (しんこうおうたくきょうひ)

朝鮮,新羅の真興王は高句麗と百済の間隙をついて三方に領域を大いに広め(拓境),その記念に各地に碑を建て人民慰撫(いぶ)した。真興王巡狩碑とも真興王巡狩管境碑とも称される。従来次の4碑が知られ,1978年に忠清北道丹陽の山城跡で発見された赤城碑を加えると5碑になる。(1)昌寧碑 慶尚南道昌寧郡にある。真興王23年(562)の大伽耶(昌寧に近い高霊加羅討伐に先立ち,前年に臣下と会盟した記念の碑。561年建立。(2)黄草嶺碑 咸鏡南道咸州郡下岐川面にあったが,現在は咸興博物館(旧,咸興本宮)に移される。(3)磨雲嶺碑 咸鏡南道利原郡東面にある。(2)(3)の碑は王の29年(568)の建立。(4)北漢山碑 京畿道高陽郡の北漢山の山頂にあったが,ソウルの国立中央博物館に移置。568年の建立か。(2)~(4)は新羅の東北・西北拓境の記念碑で,文型は互いに類似する。同じ高官の名も多く銘記され,いずれの碑も新羅史研究の貴重な史料である。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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