赤堀城跡(読み)あかほりじようあと

日本歴史地名大系 「赤堀城跡」の解説

赤堀城跡
あかほりじようあと

[現在地名]四日市市赤堀二丁目・城西町・城東町

城跡は早くから耕地化し遺構をとどめないが、明治初期と思われる旧赤堀村城東しろひがし城西しろにし新三郎縄しんざぶろうなわの地籍図(常磐地区市民センター蔵)によれば、主郭土塁の跡をたどることができる。北東八〇〇メートルに赤堀氏一族浜田氏の浜田はまだ城がある。「五鈴遺響」によれば、赤堀氏は上野国赤堀郷(現群馬県佐波郡)を本貫とし、俵武蔵守藤原秀郷の後胤、俵肥前守秀宗が赤堀庄より分れ移って築城したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む