朝日日本歴史人物事典 「赤崎海門」の解説
赤崎海門
生年:元文4(1739)
江戸時代後期の漢学者。薩摩(鹿児島県)の人。名は貞(禎)幹,字は彦礼,通称は源助。海門,尚友軒と号す。家は鹿児島藩谷山の郷士で,はじめ本田休兵衛に学び,のちに熊本に行き藪孤山に従って朱子学を修めた。天明3(1783)年に帰郷,藩校造士館の助教となり,記録奉行,物頭 などを経て,寛政7(1795)年教授,御側役格となる。藩主島津重豪に寵され,江戸に出て文人たちと交遊。その詩文を賞された。また京都の芝山持豊に就いて,堂上派の歌文を学び,和歌,和文にも長じていた。晩年には幕儒柴野栗山に推され,昌平黌で経学を講じた。
(高橋昌彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報