朝日日本歴史人物事典 「藪孤山」の解説
藪孤山
生年:享保20(1735)
江戸中期の儒学者。肥後熊本に生まれる。慎庵の次男。名は愨,字は子厚。通称,茂次郎。号は他に朝陽山人とも。父と同様朱子学を遵奉し,詩文をよくした。宝暦7(1757)年江戸,翌年京都に遊学,中井竹山,頼春水,尾藤二洲らと親交を結んだ。明和5(1768)年に藩校時習館の2代目教授となった。当時,時習館の学風は前任教授秋山玉山の影響で古文辞学が盛んであったため,朱子学への学風統一に苦心した。『孤山遺稿』『崇孟』『凡鳥館詩文集』『祠堂礼大意』などの著がある。<参考文献>頼惟勤「藪孤山雑説」(『漢文教室』56号),「藪孤山と亀井昭陽父子」(日本思想大系37巻),野田寛『肥後文教と其城府の教育』
(白石良夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報