ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デュポン・ド・ヌムール」の意味・わかりやすい解説
デュポン・ド・ヌムール
Du Pont de Nemours, Pierre Samuel
[没]1817.8.6. デラウェア,ウィルミントン近郊
フランスの経済学者,政治家。 F.ケネーに経済学を学び,その影響を受けて重農主義を唱道,長い政治活動においても一貫して重農主義を固守した。自由貿易を論じた『穀類の輸出入』 De l'exportation et de l'importation des grains (1764) によって A.テュルゴーの知遇を得てその経済改革を助け,またイギリスとの通商条約の締結にも尽力した功績によって貴族に列せられた (86) 。テニスコートの誓いの促進者の一人としてフランス革命の初期に重要な役割を果し,アッシニア (フランス革命時の紙幣) 発行,戦争,暴力,暴政に反対したが,恐怖時代,執政内閣時代を通じて再度逮捕,投獄され,1800年には2人の息子エルテール,ビクトルとともにアメリカに渡った。2年後フランスに帰り,パリ商工会議所副会頭などをつとめ,ブルボン王朝復興にタレーランを補佐して仮政府の事務総長,国家参議となったが,百日天下の間に再びアメリカに渡り,そこに没した。
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