赤松満祐邸跡(読み)あかまつみつすけていあと

日本歴史地名大系 「赤松満祐邸跡」の解説

赤松満祐邸跡
あかまつみつすけていあと

播磨備前美作の守護職を兼ねた室町幕府の有力守護大名赤松満祐の邸は、「建内記」嘉吉元年(一四四一)六月二四日条によれば「西洞院以西、冷泉以南、二条以北」にあった。これは現槌屋つちや町を中心に薬師やくし町・東夷川ひがしえびすがわ町・薬屋くすりや町の一部にまたがり、この地はかつての陽成院跡の南部にあたる。

この赤松満祐邸は嘉吉の変の起こった所で、嘉吉元年六月二四日、六代将軍足利義教を迎えて酒宴が催され、観世音阿弥が「鵜羽」を演能中、満祐は将軍義教を弑逆した(建内記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報