日本歴史地名大系 「屋町」の解説
屋町
あしやまち
- 福岡県:遠賀郡
- 屋町
郡の北東部に位置し、遠賀川の河口部を占める。同川左岸の芦屋地区と右岸の
屋町
こうじやまち
八幡町の西、
屋町
うつぼやちよう
屋町
くしやちよう
屋町
やりやまち
屋町
たるやちよう
西を萩城の外堀、北を
町名の由来を「萩諸町之旧記草案」は「御打入之節、町割相成、手桶大工大玉新右エ門と云者居住す、依之桶大工悉相集町相成ぬ、以其故名目相唱へ来る」とする。また「萩市中覚書」(「山口県地誌稿」所収)には「この町に桶結大工住居せり、俗に桶結大工の四字を上下略して結大といへり、故に町の名を
宝暦元年(一七五一)の萩大絵図別冊文書によれば町の長さ二八三間、家数一三五、うち本軒二七、店貸一〇三、貸屋五でほかに蔵が三ヵ所あった。
屋町
つちやちよう
屋町
つちやちよう
屋町
あめやちよう
屋町
たるやちよう
屋町
ちぎやちよう
元和五年広島城下絵図は「ちぎや町」とし町間数一町三〇間。寛永二年広島町数家数改め(済美録)では本家二八軒・借家五六軒。天和の切絵図には総家数四〇、間数一一六間五歩とあり、「知新集」では石橋二、町間数一丁五間五歩、竈数五七(本竈二〇・借竈三七)、人数二〇二(男九〇・女一一二)、うち本道医一人、塗師五人、乗物師四人、指物師、傘細工・仕立物師・履物緒細工各二人、白銀細工一人をあげる。
屋町
やりやちよう
屋町
やりやちよう
屋町
たるやちよう
南北に通る
平安京の条坊では左京八条二坊一保一町東側及び同八町西側、平安中期以降は塩小路猪熊小路北の地。平安京の官営市場であった
寛永一四年(一六三七)洛中絵図には「上たるや丁」とあり、寛永以後万治以前京都全図にも「上たるや町」とみえる。寛文後期洛中洛外之絵図にいたって「樽や町」となるが、寛文末洛中洛外大図には「上樽屋町」とあり、元禄末期洛中絵図以後「樽屋丁」として固定するが、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」には「七条下ル二町メ」として「樽屋町 東側西側二町に分る」と記す。
屋町
ちきりやちよう
屋町
たこやちよう
屋町
たるやちよう
屋町
うつぼやちよう
屋町
たるやまち
屋町
つちやちよう
屋町
こうじやまち
屋町
あめやちよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報