20世紀日本人名事典 「赤沢璋一」の解説
赤沢 璋一
アカザワ ショウイチ
昭和・平成期の官僚,実業家 元・日本貿易振興会理事長;元・富士通副社長。
- 生年
- 大正8(1919)年11月25日
- 没年
- 平成14(2002)年9月29日
- 出生地
- 岡山県玉島市(現・倉敷市)
- 学歴〔年〕
- 東京帝国大学法学部〔昭和16年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 五月大十字勲章(アルゼンチン)〔昭和61年〕,ハイチ共和国国家名誉勲章〔昭和61年〕,白象二等勲章(タイ)〔昭和63年〕,西ドイツ功労勲章大功労十字星章〔平成1年〕,勲一等瑞宝章〔平成4年〕
- 経歴
- 昭和17年商工省に入省。航空機武器課長として初の国産旅客機・YS11の開発に従事。46年通産省重工業局長で退官。抜群の行動力と政治力から“ブルドーザー”などの異名をとった。重工業局長時代はコンピューターの資本自由化問題に取り組み、業界のグループ化を手掛けた。日本鉄鋼連盟事務局長を経て、48年富士通に入社、51年副社長、56年副会長、58年相談役。同年9月〜平成元年10月日本貿易振興会(ジェトロ)理事長。貿易摩擦解消のため輸出振興から輸入促進へと政策の転換に関わる。のち五島昇、中川幸次らとともに、中曽根政権のブレーンとして、経済審議会の部会長を務めるなど中曽根行革の推進役となった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報