日本歴史地名大系 「赤瀬川村」の解説 赤瀬川村あかせがわむら 鹿児島県:阿久根市赤瀬川村[現在地名]阿久根市赤瀬川鶴川内(つるがわち)村の西、波留(はる)村の北に位置し、北は折口(おりぐち)村、西方は海に面する。高松(たかまつ)川の北西、折口川の南を占める台地一帯と沖合に浮ぶ桑(くわ)島・小(こ)島・元之(もとの)島の島嶼を村域とする。「鹿児島県地誌」は字地として上松(うえまつ)・赤瀬川・牧(まき)ノ内(うち)をあげる。牧ノ内は慶長四年(一五九九)二月七日の島津忠恒掟書(島津家文書)にみえる「あく禰野」牧が置かれたところという。同年一月九日に島津家久に与えられた豊臣秀吉五奉行連署知行目録(旧記雑録)には赤瀬川高二四四石余、長井村・赤瀬川村高九八石余がみえる。延享(一七四四―四八)頃の高五二三石余(三州御治世要覧)、旧高旧領取調帳では高五八一石余。文化六年(一八〇九)の阿久根門名頭附(桑原文書)によれば門数一六。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by