阿久根湊(読み)あくねみなと

日本歴史地名大系 「阿久根湊」の解説

阿久根湊
あくねみなと

[現在地名]阿久根市波留

波留はる村のうち、高松たかまつ川の河口部を中心として発達した湊。沖合には湊を取囲むようにおお島・くわ島・島・元之もとの島の四島が浮び、この島々が天然の防波堤となっていて、大型船の係留には適していた。現在河口の北に新港(昭和五三年竣工)、南に旧港、旧港のさらに南、倉津くらつノ鼻東側の入江に倉津港がある。倉津港は阿久根港の避難港の役割を果しているが、かつてはこの倉津が当湊の中心であったともいわれ(三国名勝図会)、遠見番所も置かれていた(阿久根市誌)。一五四七年(天文一六年)のアルヴァレス日本情報(西欧人の日本発見)では九州の主要な湊の一つとして博多、坊津ぼうのつ(現坊津町)などと並び阿久根(amgune)が紹介されており、天文年中(一五三二―五五)には薩州家島津氏が阿久根浜の船主に允許状を与えてルソンとの交易にあたらせていたという(阿久根町郷土誌)。またこの頃、中国側では当湊を倭寇の主要基地として認識しており、明代の一五六二年成立の「籌海図編」には薩摩一一湊のうちに罷里(波留)がみえ、同じく明代の一五五七年刊の「日本一鑑」も南九州の主要港として阿久根をあげている。

一五六二年(永禄五年)一〇月二五日のダルメイダの書簡によれば前年一二月に豊後を出立した修道士ダルメイダはポルトガルの商人アフォンソ・バズが停泊していた阿久根(Angune)に着き(年月日は不明)領主(薩州家か)接見歓待を受け、翌日、領主から与えられた船に乗って鹿児島に向かっている。しかしアフォンソ・バズは永禄四年末(西暦でいえば一五六二年にあたるか)殺害され、島津貴久は「他領より掠奪のため侵入せし剽盗ありしがゆえに、ポルトガル人の来りしを知らず、これと戦ひ」殺してしまったと遺憾の意を表している(永禄四年付「インド総督に宛てた島津貴久の書簡」イエズス会士日本通信)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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