日本歴史地名大系 「阿久根湊」の解説
阿久根湊
あくねみなと
一五六二年(永禄五年)一〇月二五日のダルメイダの書簡によれば前年一二月に豊後を出立した修道士ダルメイダはポルトガルの商人アフォンソ・バズが停泊していた阿久根(Angune)に着き(年月日は不明)、領主(薩州家か)に接見、歓待を受け、翌日、領主から与えられた船に乗って鹿児島に向かっている。しかしアフォンソ・バズは永禄四年末(西暦でいえば一五六二年にあたるか)殺害され、島津貴久は「他領より掠奪のため侵入せし剽盗ありしがゆえに、ポルトガル人の来りしを知らず、これと戦ひ」殺してしまったと遺憾の意を表している(永禄四年付「インド総督に宛てた島津貴久の書簡」イエズス会士日本通信)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報