日本歴史地名大系 「赤熊村」の解説 赤熊村あかぐまむら 福岡県:豊前市赤熊村[現在地名]豊前市赤熊・宇島(うのしま)現豊前市の北部、市街地の中心域に位置し、西は八屋(はちや)村。当村の北部に文政年間(一八一八―三〇)在郷町の宇島(うのしま)町が建設された。江戸時代は小倉藩領。元和八年人畜改帳に村名がみえ御蔵納分、家数三〇・人数五一(うち百姓一〇・名子八)、牛一一・馬二。寛永二年(一六二五)の細川忠利判物(野田文書)によると、忠利は「下毛郡赤熊村」のうち一五〇石を野田源四郎(幸久)に宛行っているが、これは当村のことか。延享三年(一七四六)の御案内覚帳(稲葉文書)では高六四七石余、土免四ツ二分・春免五厘、竈数五八、家数八〇・人数三七五、牛馬数二八、池(いけ)大明神(現足切神社)、正明(しようみよう)寺(現浄土真宗本願寺派)がある。 赤熊村あかくまむら 京都府:亀岡市赤熊村[現在地名]亀岡市東本梅(ひがしほんめ)町赤熊半国(はんごく)山の北東麓に立地。近世は船井郡に属する。北西は若森(わかもり)・南大谷(みなみおおたに)(現船井郡園部町)、東は松熊(まつくま)、南東は中野(なかの)の村々。本梅川が村の北東を北西に流れる。篠山街道(山陰道)は南東の中野村から当村を経て北東の南大谷へ至る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by