20世紀日本人名事典 「赤羽雪邦」の解説
赤羽 雪邦
アカハネ セッポウ
明治〜昭和期の日本画家
- 生年
- 慶応1年(1865年)
- 没年
- 昭和3(1928)年8月25日
- 出生地
- 信濃国東筑摩郡(長野県松本市)
- 本名
- 赤羽 順次
- 別名
- 別号=知足
- 学歴〔年〕
- 東京美術学校絵画選科〔明治28年〕卒
- 経歴
- 初め郷土の日本画家・仙石翠淵に絵の指導を受け、岩垂塘に漢書を学ぶ。のち京都で尾崎雪濤に南画を習い、更に東京に出て橋本雅邦に師事、明治22年開校した東京美術学校(のち東京芸術大学)に第1期生として入学するが、在学中病気のため右足を切断し休学したため、28年31歳で絵画科選科を卒業する。一時帰郷し、のち愛知県瀬戸で陶器の絵付けに従事した。32年第2回全国絵画共進会で1等褒状を受ける。37年渡米し15年間の長きに渡り洋画の研究と日本画の紹介に努め、大正7年帰国、東京下谷に住み、8年日本橋倶楽部で個展を開催。9年松本市に転居し画作した。遺作は多数で、代表作に「阿呼詠詩」「楓林停車」、名刹牛伏寺の鐘堂天井画「雲龍図」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報