赤自庄(読み)あかじのしよう

日本歴史地名大系 「赤自庄」の解説

赤自庄
あかじのしよう

祇園(ぎおん)川上流域の扇状地の東方で、天(てん)山山系の山麓から平坦部にでたあたり一帯で、現在赤司(あかぜ)・上赤司の地名が残る。

石清水八幡宮寺縁事抄の引く長保五年(一〇〇三)八月一九日の宇佐八幡宮司解に「赤目」とみえる。次いで「宇佐大鏡」には「肥前国赤自庄、田数二十四町三段三十、永承元年立券定、用作五反入田四十町已公田、天平勝宝年中、公家所寄也」とあり、赤自庄は天平勝宝年中(七四九―七五七)に公家が宇佐神宮に寄進、永承元年(一〇四六)に立券荘号し、「五反入田四十町」はすでに公田としている。なお建長元年(一二四九)八月日付の僧貞弁領知所々注進状(下総中山法華経寺蔵)に「赤目宮入田二丁本領主右内左近允」「天并(山カ)赤目薗一所本領主覚性房伝主院入道名内也」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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