日本歴史地名大系 「越知面村」の解説 越知面村おちおもむら 高知県:高岡郡檮原町越知面村[現在地名]檮原町大田戸(おおたど)・横貝(よこがい)・上本村(かみほんむら)・下本村(しもほんむら)・井の谷(いのたに)・田野々(たのの)四万十(しまんと)川の支流檮原川の最上流に位置し、東北方に五段城(ごだんじよう)(一四五六メートル)を望む。東は芳生野(よしうの)村(現東津野村)。江戸時代の郷帳類にはヲチヲモ・オチオモ・オチョウモンの訓がみえ、近年はオチメンという。鎌倉時代の末、津野元高の招きで来住した伊予の越知新兵衛通久が当地を開いたので、越知面とよばれるようになったと伝える。天正一六年(一五八八)の津野越知面村地検帳によれば、当時の越知面村には大田戸地(おおたどち)・名本(なもと)・田野々・永野(ながの)の四名があり、地積は三二町余、ヤシキ一〇〇筆。うち五反余の鷹野菊丞給地と善福(ぜんぷく)寺領を除いた地はすべて津野氏の直轄地。江戸時代には津野山(つのやま)郷九ヵ村の一で、檮原村に大庄屋がおり、越知面村には庄屋が置かれた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by