足ヶ谷山(読み)あしがたにやま

日本歴史地名大系 「足ヶ谷山」の解説

足ヶ谷山
あしがたにやま

尾口村北西端に位置する白抜しらぬき(八九一メートル)北麓のアシガ谷付近の山。「三州志」によると、加賀藩領能美のみ河原山かわらやま(現鳥越村)の後山(足ヶ谷山)独活平うどひらの地は、古来同村が耕作しており、草高一〇〇石余と定められていたが、慶長一二年(一六〇七)福井藩領の越前国大野郡二口ふたくち村の村民が自らの領地だと主張して入込み、争論となった。この時、同藩領牛首うしくび(現白峰村)の加藤藤兵衛が独活平を中分とする仲裁を試みたが、河原山村の拒否によって翌年三月両村は実力行使に及び、二口村の発砲などもあって、双方に死傷者が出た。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む