跡見 玉枝
アトミ ギョクシ
        
              
                        明治・大正期の日本画家  
- 生年
 - 安政6年4月(1859年)
 
- 没年
 - 昭和18(1943)年8月7日
 
- 出生地
 - 江戸
 
- 本名
 - 跡見 勝子
 
- 別名
 - 別号=不言庵
 
- 経歴
 - 跡見花蹊の従妹。花蹊、玉泉に絵を習い、明治7年京都に移住。11年から京都高等女学校で写生画の教師を務めた後、19年東京に戻り、神田に私塾を開く。13年日本画会展に「薔薇」を出品、その後東京、京都、奈良などの博覧会、共進会に出品、前後8回銅賞を受けた。30年渡米、帰国後、内親王御用掛となる。桜花の写生が得意で、昭和8年皇室御用命で御苑の桜を写生、当時の皇后陛下に画帖を献上し、10年には照宮内親王の御用命で桜花の大幅3点を写生した。のち絵画精華会を開いて良家の子女に絵を教えた。
 
                                                          
     
    
        
    出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
	
    
  
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                    跡見玉枝 あとみ-ぎょくし
        
              
                        1859-1943 明治-昭和時代前期の日本画家。
安政6年4月生まれ。従姉の跡見花蹊(かけい)や長谷川玉峰(ぎょくほう),宮崎玉緒(たまお)にまなび,桜花図を得意とした。内親王御用掛となり,皇居の桜の写生画を皇室に献上した。昭和18年5月12日死去。85歳。江戸出身。本名は勝子。
                                                          
     
    
        
    出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
	
    
  
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