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跡見花蹊 あとみ かけい

デジタル大辞泉の解説

あとみ‐かけい〔‐クワケイ〕【跡見花蹊】

[1840~1926]女流教育家。大阪の生まれ。名は滝野。父の私塾を継ぎ、また京都に開塾。のち東京に移って、明治8年(1875)跡見学校(現在の跡見学園女子大学など)を創立。

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百科事典マイペディアの解説

跡見花蹊【あとみかけい】

女子教育の先駆者。本名は滝野(たきの)。歌人重敬を父として大坂に生まれる。大阪,京都などの私塾で教えた後,東京に出て,1875年跡見女学校を創立。和歌,絵画,華道など伝統的教養を重んじ,また寄宿制度を採用,のちの日本における女子中等教育に大きな影響を与えた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

跡見花蹊 あとみ-かけい

1840-1926 明治-大正時代の教育家。
天保(てんぽう)11年4月9日生まれ。歌人跡見重敬の次女。絵を石垣東山,円山応立(おうりゅう)に,漢学を後藤松陰らにまなぶ。大坂で父の塾をてつだい,のち京都に私塾をひらく。明治8年東京に跡見女学校を創設,伝統的女子教育をおこなった。大正15年1月10日死去。87歳。摂津西成郡(大阪府)出身。名は滝野。別号木花,西成。

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朝日日本歴史人物事典の解説

跡見花蹊

没年:大正15.1.10(1926)
生年:天保11.4.9(1840.5.10)
幕末明治期に活躍した女性画家,教育者。跡見女学校(跡見学園)の創始者。摂津国西成郡木津村(大阪市西成区)生まれ。名は竜野。父重敬は寺子屋を営む。母は幾野。12歳のとき石垣東山に書を学び,その後禎野楚山について画を学ぶ。安政3(1856)年京都に遊学し,詩文,書法を頼山陽門下の宮原節庵に,画を円山応立,中島来章,日根対山に学ぶ。5年には大坂中之島の父の私塾を助け,慶応2(1866)年京都に私塾を開く。明治3(1870)年東京に移住。宮中の女官教育に当たる。5年には宮中に召され昭憲皇太后御前で揮毫した。8年,東京神田猿楽町に跡見女学校を開く。23年上野美術会にて御前揮毫する。代表作に「四季花卉図」(跡見学園蔵)がある。

(安村敏信)

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世界大百科事典 第2版の解説

あとみかけい【跡見花蹊】

1840‐1926(天保11‐昭和1)
明治・大正期の女子教育者。良妻賢母主義教育の先駆者。大阪出身で本名は滝野(たきの)。明治初年に上京,1875年神田猿楽町に跡見女学校を設立。跡見女学校は中流以上の家庭の子女を対象に,国語,漢学,習字,裁縫,挿花,点茶,絵画,算術を教え,とくに和歌,絵画,習字に比重をかけた教育を行い,伝統的な日本婦徳の養成に力を注ぎ,のちの日本における女子中等教育に大きな影響を与えた。第2次大戦後は女子短期大学(1950),4年制の跡見学園女子大学(1965)も付設。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

跡見花蹊
あとみかけい

[生]天保11 (1840).4.9. 摂津
[没]1926.1.10. 東京
明治~大正期の教育家。本名は滝野,木花,西成とも号した。父は寺子屋の師匠で,和漢学の素養が深く,書にも秀でた人であった。花蹊も幼少から和漢学,書道,絵画を学び,優れた才能を現した。安政6(1859)年父を継いで私塾の経営にあたり,慶応2(1866)年京都に移って上流子女の教育に従事した。明治3(1870)年上京,神田三崎町に上流女子を対象とする私塾を開き,1875年神田猿楽町に跡見学校を開校した。同校は私立女学校の先駆をなすもので,花蹊は 1919年まで校長の職にあって伝統的な教養を基礎とする堅実な上・中流家庭婦人の育成に努めた。同校は 1933年小石川大塚町に移転した。(→跡見学園女子大学

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

跡見花蹊
あとみかけい
(1840―1926)

明治・大正期の女子教育者。大坂・木津村(現、大阪市)の郷士跡見重敬(しげよし)の次女として生まれる。名は滝野(たきの)、花蹊は号。漢学、詩文、書法、絵画などをよくし、父の私塾を継ぐ。姉小路家に仕えた父に従って1866年(慶応2)京都・東洞院(ひがしのとういん)二条に開塾、1870年(明治3)東京・神田三崎町に、さらに1875年神田猿楽(さるがく)町に移転、跡見女学校(現、跡見学園女子大学)として近代的に改組。堅実な家庭婦人の育成を目ざした女子中等教育機関として社会的な信用を獲得した。1919年(大正8)まで校長を務め、寄宿制度の教育的意味を重視、伝統主義的教養の形成に力を注いだ。[尾崎ムゲン]
『高橋勝介著『跡見花蹊女史伝』(1932・東京出版社)』

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