日本歴史地名大系 「轆轤村」の解説 轆轤村ろくろむら 滋賀県:高島郡朽木村轆轤村[現在地名]朽木村麻生(あそ)麻生川上流に位置し、東は横谷(よこたに)村、西は若狭国境の木地山(きじやま)峠を越えて上根来(かみねごろ)村(現福井県小浜市)。寛永石高帳では高四一石余、ほかに一貫三二二文。慶安高辻帳では田方二三石余・畑方一八石余、ほかに小物成銭一貫三二二文。元禄郷帳では高九石余に減少する。木地屋の住んだための地名で、往古愛知(えち)郡蛭谷(ひるだに)村(現神崎郡永源寺町)より移住し、膳・盆・銚子・木鉢などを製作して各地に売り、朽木氏の用命を受けて盆および銚子を製作したため、管内至る所の橡および山毛欅の材木伐採を許されていたという(高島郡誌)。 轆轤村ろくろむら 滋賀県:高島郡今津町轆轤村[現在地名]今津町狭山(さやま)もと天増川(あますがわ)村の枝郷で、本村の北の上流にある。同じく天増川村枝郷の六ッ石(むっいし)・水谷(みずたに)をも含む。もと梨子木(なしのき)村の内で、天明村高帳に高五石余とあり、旗本朽木(本家)領。天増川村枝郷の梨子木・轆轤・六ッ石・水谷四ヵ村は、宝暦四年(一七五四)本村が四ヵ村領有の荒谷(あらたに)山に炭竈を立てるなど圧迫を加えるので、本村から分離したいと朽木(くつき)役所(現朽木村)へ訴えた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by