日本歴史地名大系 「辛島村」の解説 辛島村からしまむら 大分県:宇佐市旧駅川町地区辛島村[現在地名]宇佐市辛島法鏡寺(ほうきようじ)村の西、駅館(やつかん)川左岸の氾濫原上にある。南は閤(ごう)村、北は上田(うえだ)村。集落は低段丘上にあり、同段丘の南端に宇佐宮行幸会八社の一、泉(いずみ)神社がある。古代―中世の辛島郷の遺称地で同郷の中心集落であったと思われる。建武元年(一三三四)一二月八日の弥勒寺別当神朝等和与状案(小坂坊文書)に紀氏女分として「辛島七杖田七枚」とみえる。天正一五年(一五八七)六月三日の宮成公基所領坪付(宮成文書)には辛島郷分の「当時令進止村」の一として「辛島」とある。近世の領主の変遷は川部(かわべ)村に同じ。慶長八年(一六〇三)の平田(ひらた)井手公事に関する庄屋中天罰起請文(四日市村年代記)に「辛島村六郎右衛門」、同年代記の同一六年の井手公事に関する記述にも「辛島村大泉寺」などがみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by