辰田新村(読み)たつたしんむら

日本歴史地名大系 「辰田新村」の解説

辰田新村
たつたしんむら

[現在地名]関川村辰田新

北を荒(あら)川が西流し、川沿いに東西に米沢街道が通る。東は下関(しもせき)村、西は打上(うちあげ)村に接する。寛文三年(一六六三)の新田検地帳(渡辺家文書)に村名がみえる。文禄(一五九二―九六)頃の瀬波郡絵図には当村付近に「黒川分しみつはた村」が描かれ、本納一二五石四斗・縄高一八四石八斗八升一合、家一〇軒とある。現辰田新・打上両地内に「みちはた」の地名が残る。荒川の氾濫ののちに再開発されたものか。近世は初め村上藩領、宝永六年(一七〇九)幕府領。万治二年(一六五九)の検地時は高一三石七斗余、田一町二畝余・畑四反五畝(安永二年「村明細帳」渡辺家文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む