朝日日本歴史人物事典 「近衛兼嗣」の解説
近衛兼嗣
生年:延文5/正平15(1360)
南北朝時代の公家。父は近衛道嗣。母は洞院実世の娘。応安1/正平23(1368)年従三位に叙せられたのち,永和1/天授1(1375)年内大臣,永和4/天授4年右大臣を歴任。足利義満の台頭とともに,摂政・関白は義満に気脈を通じる近衛・二条の両家が独占するようになっていたが,兼嗣は嘉慶1/元中4(1387)年,二条良基のあとを受け摂政・氏長者の宣下を受けた。ところが翌月父の死にあい,喪が明けてのち復任したものの,翌年29歳で死去。号は後六条。後任には二条良基が任ぜられ,良基4度目の関白就任であった。
(湯川敏治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報